木原清
日本陸軍の軍人
木原 清(きはら きよし、1876年(明治9年)4月25日[1][2] - 1940年(昭和15年)9月23日[1][2])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集東京府出身[1][2][3]。旧幕臣・木原白照の長男として生れる[1]。東京府立一中卒業を経て、1896年(明治29年)11月、陸軍士官学校(8期)を卒業[1][2][4]。1897年(明治30年)6月、歩兵少尉に任官し歩兵第1連隊付となる[1][4]。1903年(明治36年)11月、陸軍大学校(17期)を卒業[1][2][3]。
1904年(明治37年)4月、陸士教官となり、近衛師団参謀を経て、1909年(明治42年)11月、歩兵少佐に昇進し歩兵第49連隊付に発令[1]。1912年(大正元年)8月、陸軍運輸部基隆支部長に就任し、参謀本部員に異動[1]。1915年(大正4年)8月、歩兵中佐に進級[1]。1916年(大正5年)11月、歩兵第77連隊付となり、1917年(大正6年)7月からイギリス軍に従軍[1]。1918年(大正7年)7月、歩兵大佐に昇進[1][3]。同年8月、参謀本部課長に転じ、1922年(大正11年)12月、陸軍少将に進級し歩兵第25旅団長となった[1][2][3]。
1923年(大正12年)8月、参謀本部第3部長に就任し、1927年(昭和2年)7月、陸軍中将に進み運輸部長となる[1][2][3]。1930年(昭和5年)8月、第12師団長に親補され、東京警備司令官に転じ、1933年(昭和8年)3月に予備役編入となった[1][2][3]。その後、南満州鉄道顧問、徳川家家令を務めた[1]。