朝のガスパール』(あさのガスパール)は、筒井康隆長編小説。『朝日新聞』の朝刊に1991年10月18日から1992年3月31日まで連載され、読者からの投書、パソコン通信を使った読者参加のメタフィクションが話題となる。1992年日本SF大賞受賞。タイトルはモーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』より[1]

朝のガスパール
著者 筒井康隆
イラスト 真鍋博
発行日 1992年8月1日
発行元 朝日新聞社
ジャンル サイエンス・フィクション
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 327
コード ISBN 4101171343(文庫)
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概要

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この小説は1日1話ずつ掲載という新聞連載の特性を利用し、その日の掲載分を読んだ読者からの投書やASAHIネットBBSへの投稿を作品世界に反映させ、虚構と現実の壁を破るという実験的手法がとられた。具体的には、投書や投稿により物語の展開に対して読者が作者に要望を出すことが出来るというものだが、単にそうした企画であるにとどまらず、物語中に作者を模した小説家が登場し、その投書や投稿を引用して批評(時には激しく罵倒[2])するなど作者独特の世界が開陳され従来の新聞小説に慣れた読者を驚かせた。BBSでは単に読者からの要望を物語の展開に採用するのみならず、書き込み内容やハンドルネームから醸成されるBBS住人のキャラクターを登場人物の造形に利用したりもした[注 1]読者参加型ゲームに近い要素を持ち、また当時はインターネット普及以前で(BBSもいわゆる「パソコン通信」のものであった)まだ一般に普及しておらず言葉すらなかったオンラインゲームオンライントレード[注 2]に近いものが登場し、非常に先進的な設定を取り入れた小説であった。BBSそのものも連載中にのちに言うところの「荒らし」「アスキーアート」「炎上」「祭り」などに相当する事態が頻発し、ネット社会を先取りする形となった。このBBSでのやり取りは『電脳筒井線-朝のガスパール・セッション』という全3巻からなるペーパーバックにまとめられ、出版された。この作品の連載にあたり、筒井は全力を注ぐため他の連載を半年ほど休止した[注 3]。なお、1993年9月に筒井が「断筆宣言」を発表した際、同作品で「『狂』という字が使えなかった[注 4]」と朝日新聞社側から「用語規制」があったことを明らかにしている[3]

世界

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この小説には世界が5重に存在する。オンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」内の世界、そのゲームに熱中する主人公達の世界、その主人公たちの物語を書いている(という設定の)小説家(筒井康隆ではない)や編集者の世界、その小説家の新聞連載に影響を与えている投書やBBSの世界(作者筒井康隆の脳内とも言える)、その投書を書いたりBBSに書き込んだりしている読者(現実)の世界である[注 5]。通常ならば互いに交わるはずのない5つの階層に、筒井ならではの文学的実験(メタフィクションの手法)が試みられる。

ストーリー

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金剛商事常務・貴野原征三(きのはら せいぞう)はオンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」に熱中し、会社でもその話題で持ち切りだった。世間的にも大企業重役中間管理職クラスがかつてのホワイトカラーが休日のゴルフを楽しんだように、このオンラインゲームを知的な遊びとして楽しんでいた。一方で征三の美貌の妻・聡子はセレブパーティ仲間にすすめられて始めた株のオンライントレードで巨額の損失を出し、消費者金融[注 6]にまで手を出して多重債務を抱えこんでいた。夫に知られずに損失を取り戻すべく孤軍奮闘する聡子。征三の部下である石部智子は、「まぼろしの遊撃隊」の運営元「まぼろしの遊撃隊センター」を訪れる。そこにはセンターの責任者・時田浩作とその妻・敦子が住んでいた[注 7][注 8]

…という小説を新聞に連載している作家・櫟沢(くぬぎざわ)は、読者からの新聞社への投書とパソコン通信のBBSへの投稿を物語の展開に反映させ連載を続けていた。投稿の内容はセレブパーティを中心としたドメスティックな内容を希望する新聞投書と、「まぼろしの遊撃隊」の活躍するSFシーンを希望するBBS投稿とに大きく分かれていた。SFシーンを描けば購読を中止するなどという非難の投書が増え、パーティ場面を描けばBBSに荒らしめいた投稿が目立つようになる。双方の意見に板ばさみ状態になった櫟沢は、新しい手法を続けることに次第に頭を痛めるようになる[注 9]

その投書や投稿の荒れ具合に呼応するかのように、「まぼろしの遊撃隊」も変化を見せ始める。連載初期の段階ではある程度の知識と教養が要求されるゲームであり、登場人物達もそれにあわせて思慮深い人物達がメインになりゲームが進んでいたが、連載の後期には新たに格闘戦に長けた女子隊員・穂高[注 10]が加わったものの、単なる撃ち合い殺し合いのゲームに変貌し、それにあわせて征三たちもゲームに対する情熱を次第に失っていった。そんな中、巨額の負債があることを夫・征三に知られ、消費者金融からの脅迫同然の執拗な取り立てに疲れ果てた聡子は、救いを求めるかのように「まぼろしの遊撃隊」にアクセスする。「まぼろしの遊撃隊」の登場人物で、ゲーム内での征三の分身でもある深江[注 11]は救いを求める聡子の声を聞く。そして他の隊員達と共に、彼女を救うため『レベルの壁』を崩壊させた。

…ここまで話が進んだところで、櫟沢は担当の男性記者・澱口(おりぐち)[注 12]に、「『レベルの壁崩壊』の種明かし」をするが、櫟沢はこの期に及んでも作品の真意を理解しようとせず、建設的な意見を出さずに不満ばかりを言いたて、『新聞の購読をやめる』と言い続ける一部の読者に対して怒りを爆発させ、思い付く限りの罵詈雑言をぶちまけるのであった。

消費者金融から債権回収を依頼され、取り立てのため征三の自宅に向かった企業舎弟・若林と岸は、庭に現れた深江を目撃し、大慌てで事務所に引き返し上司の杉原に報告した[注 13]。2人の報告を聞いた杉原は、征三が対立組織の構成員を用心棒に雇い、聡子が抱える負債を踏み倒そうとしていると思い込んで激怒し、部下達と共に銃で武装して征三の自宅に乗り込んだ。そして「まぼろしの遊撃隊」と「企業舎弟たち」の激烈な銃撃戦の火蓋が切られる。

登場人物

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  • 櫟沢(くぬぎざわ) - 作家。
  • 澱口(おりぐち) - 記者。
  • 美也 - 櫟沢夫人。
  • 英吉 - 櫟沢の息子。実家を離れて下宿生活を送る大学生。時々父親とキャッチボールをすることもある[注 14]

作中作

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  • 貴野原征三(きのはら せいぞう) - 金剛商事常務。
  • 聡子 - 貴野原の妻。
  • 英吉 - 征三と聡子の息子。大学生。実家を離れて下宿生活を送る。
  • 石部智子 - 金剛商事社員。
  • 江坂春美 - 銀行員。
  • 多摩志津江 - 主婦。
  • 剣持裕治 - 外務員。
  • 時田浩作 - 「まぼろしの遊撃隊」プログラマー。
  • 時田敦子 - 浩作の妻。旧姓・千葉。この作品では夫のアシスタントに徹している。
  • 粉川利美 - 警視総監。『パプリカ』では浩作と敦子にしばしば難事件の捜査協力を依頼している。
  • チャーリィ西丸 - 劇画家。たまたまパーティーで見かけた聡子に横恋慕する。

まぼろしの遊撃隊

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  • 深江 - 第二分隊長。
  • 平野 - 第三分隊長。
  • 花村 - 遊撃隊隊長。
  • 穂高 - 女子隊員。物語後半以降に登場。格闘戦を得意としている。
  • シリコニイ - 平野のペット。遊撃隊が派遣されている惑星の原生生物で、尖った石のような外観で人語を解する。ウラニウムを食料としている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 遊撃隊員の穂高、櫟沢の息子英吉など
  2. ^ 作中では『PFS(ポートフォリオ・フィナンシャル・システム)』と呼ばれている。
  3. ^ 噂の眞相』連載『笑犬樓よりの眺望』など。
  4. ^ 反面、登場人物の台詞の一部に『関西弁で女性器を意味する隠語』が使われている。
  5. ^ これらの仕組みが分かりにくいためか、挿絵での補足もされた。また、『登場人物が多すぎる』という意見に対しては挿絵を簡単な人物相関図にしたり、初登場の人物がいる場合、挿絵の人物に名前を書き添えるといった事も行われた。
  6. ^ 作中では『ネット・サラ金連合』『ネットΣ(シグマ)』と呼ばれている。
  7. ^ この2人は、筒井の別の小説『パプリカ』からのゲスト出演である。他にも『パプリカ』からは『粉川利美』もゲスト出演している。
  8. ^ 2人のほかに、浩作の母親も同居している。
  9. ^ ここで注意しなければいけないのは櫟沢はあくまで筒井が描く登場人物であり、筒井本人ではないということである。ただし同作品の挿絵を描いているイラストレーター・真鍋博によって、挿絵での櫟沢は筒井そっくりの外見に描かれている。
  10. ^ 『遊撃隊に女子隊員を加えて欲しい』という要望が女性読者からあり、それが反映された。また作中には、櫟沢がこの要望に面食らう描写や、ゲームに参加している征三たちが彼女の出現に辟易する描写がある。
  11. ^ 征三のように、ゲームの特定のキャラクターの行動や思考に介入できる人物は、作中で『シャドウ』と呼ばれている。
  12. ^ この連載における現実の筒井担当記者は大上朝美(おおうえ ともみ)という女性である。大上は文庫版巻末の『解説』を執筆している。
  13. ^ 彼らは元々関西を拠点にしていた暴力団であったが、暴対法の施行による警察の取り締まり強化で旧来の『シノギ(資金稼ぎ)』が封じられて関東に進出、消費者金融の債権回収が新たな資金稼ぎの手段となった。彼らの会話が全て関西弁なのはこのためである。なお、連載中の1992年3月1日に『暴対法』が施行され、作中にも同法に関する記述がある。
  14. ^ 読者から「筒井に息子がいて征三にも息子がいるのだから櫟沢にも息子がいるはず」という投稿が寄せられたため登場することになった。

出典

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  1. ^ 本文中にアロイジウス・ベルトラン同名の散文詩集の一部が引用されている(日本語訳・及川茂 岩波書店刊)。
  2. ^ 筒井は『噂の眞相』1991年12月号で、この連載の告知をした際「レベルの低い意見に対しては登場人物が反撃する」と明言しており(筒井『笑犬樓よりの眺望』より『新聞小説ははたして不要か』)、作中で某宗教団体の信者からの投書が、筒井に対する個人攻撃に終始していたため、実名で批判されている。
  3. ^ 筒井『笑犬樓よりの眺望』より『断筆宣言』(初出:『噂の眞相』1993年10月号)。

関連項目

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