有明吾郎
有明 吾郎(ありあけ ごろう、1875年3月23日 - 1943年2月19日[1])は、現在の長崎県島原市出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は大家 八五郎(旧姓山中)。最高位は東小結。5代式秀。165cm、123kg。
来歴
編集1894年5月序ノ口。1899年5月十両昇進、1800年代最後の関取のひとりである。1900年5月場所、7勝2敗1休で現在でいう十両優勝にあたる成績をあげる。翌1901年1月場所は番付運なく十両筆頭にとどまるが、翌5場所月に新入幕[2]。1904年1月場所では東8枚目で7勝2敗1休、9日目に駒ヶ嶽に敗れるまで梅ヶ谷、常陸山の両横綱と並走した[3]。1909年小結昇進。三役は結局この一場所ですぐ平幕に落ち、その後は幕内中位をエレベーターしていたが、1913年1月場所十両落ち、翌5月場所で幕下陥落を機に引退、式秀を襲名した。板垣退助の眼前で鰻飯を7杯平らげて驚かせるほどの大食漢だった。
1903年6月の大阪相撲との合併相撲では10戦全勝で優勝相当となっている[4]。
その顔つきと体つきから「布袋さん」の異名で呼ばれ、穏やかな性格で知られて贔屓にする客も多かった[5]。
成績
編集- 幕内23場所70勝98敗38休24分預
- 通算28場所90勝111敗38休25分預
改名
編集改名歴なし [6]
出典
編集- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 7頁
- ^ 横浜新報著作部 編『当世力士銘々伝』,横浜新報社,明36.2. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 当時幕内力士は千秋楽を休場で、9日目は実質の千秋楽。
- ^ “東西合併大相撲”. sumohima.web.fc2.com. 2021年8月17日閲覧。
- ^ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その3〜 おすもうさん 2021年4月16日 (2023年2月27日閲覧)
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、ISBN 978-4764104709