- 空手や古武術に精通していたこともあり、当身を多用した実戦的な技で知られた。
- 日本の武道・宗教についての研究に幅広く取り組み、12トンを超える資料を遺した。また植芝盛平の写真及び映画(8ミリフィルム)を多く所有していた。
- 合気会本部道場では水曜日夜の稽古を長年担当し、朝日合気会、一橋大学、津田塾大学、法政大学、東海大学、日本大学、千葉工業大学等でも指導にあたった。
- 長年の指導実績に加え、全日本合気道連盟高等評議会委員、同常任理事を歴任し、1959年から1974年まで合気会発行の「合気道新聞」の編集長を務めて合気道の普及に多大な貢献を成した。