月亭 生瀬(つきてい いくせ、生没年不詳)は、19世紀中期に活躍した落語家戯作者(現在の落語作家)。

月亭 生瀬つきてい いくせ
生年月日 不詳年
没年月日 不詳年
師匠 初代桂文治
名跡 1. 桂幾勢
2. 桂亭生世
3. 月亭生瀬
所属 桂派

本名は不詳。初代桂文治門人で、桂幾勢、生世など(亭号も桂亭など)を名乗り桂文来、桂文東、桂文蝶桂文吾らとならぶ高弟であった。また同じ一門の桂力造は兄弟だったともいわれる。後、師のもとを去り文化文政時代には現役を引退して文筆業に専念する。師のための創作を行ったり、「大寄噺の尻馬」・「風流俄選」などの噺本、芝居の台本、歌舞伎狂言の脚本や替え歌の作者など旺盛な活動を行い、幕末期の大坂において戯作者として第一級の活躍をした。晩年は上方落語界の長老として上方5代目桂文治の名跡を預かるなど重きをなした。

亭号の月亭は明治以降、2代目文枝襲名に敗れた桂文都が桂派に対抗するために2代目月亭文都と名乗って継承していくことになり、現在にも伝わっている。

なお「生瀬」の名跡は明治に入り数人名乗ったことが確認出来る。2011年6月には、小佐田定雄桂九雀笑福亭三喬らによって、生瀬作の「七福神」「おろち山」「念仏小僧」などの創作が復活口演されている。

参考文献

編集

「古今東西落語家事典」諸芸懇話会・大阪芸能懇話会 編 1989年 平凡社 ISBN 4-582-12612-X C0576