晴明神社

京都市上京区晴明町にある神社

晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区晴明町にある神社安倍晴明主神とし、倉稲魂命合祀した。[1]一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。旧社格は村社。

晴明神社
社殿
拝所・本殿
所在地 京都府京都市上京区堀川通一条上る晴明町806-1
位置 北緯35度1分39.9秒 東経135度45分3.7秒 / 北緯35.027750度 東経135.751028度 / 35.027750; 135.751028座標: 北緯35度1分39.9秒 東経135度45分3.7秒 / 北緯35.027750度 東経135.751028度 / 35.027750; 135.751028
主祭神 安倍晴明御霊神
社格村社
創建 寛弘4年(1007年
例祭 9月秋分日(晴明祭)
地図
晴明神社の位置(京都市内)
晴明神社
晴明神社
地図
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境内入り口の一之鳥居

歴史

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寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、時の一条天皇はその遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時の境内は東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、かなり広大であった。しかし、度重なる戦火や、豊臣秀吉の都市整備などにより次第に社域を縮小し、社殿も荒れたままの状態となる。また、隣接して千利休の屋敷が設けられていた。

安政元年(1854年)の京都大火と天明の大火により社記を焼失し、神社の詳しい由緒などは不明になってしまった[2][3]

幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われている。明治時代になると村社に列せられた。

戦後の1950年昭和25年)には、堀川通に面するように境内地が拡張されている。

平成以降、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、主人公である安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。晴明歿後千年となる2005年(平成17年)には、安倍晴明千年祭が行われた。

2017年(平成29年)に二の鳥居の社号額が新調され、安政元年(1854年)に土御門晴雄により奉納されたものを忠実に再現したものとなった。

一の鳥居の社号額には、五芒星の社紋が描かれている。

祭神

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境内

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晴明神社四神門

晴明井

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社紋の五芒星が描かれた提灯と四神門

本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている[4]

伝承によれば千利休茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もそのを服されたと伝えられている[4]

この井戸は五芒星(晴明桔梗)を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。

神木

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末社の前には、周りを木製のベンチで囲われた神木があり、樹齢は300年を超えており静かに手を当て、お祈りをするとご利益にあやかれる。[5]

祭事

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  • 1月1日:新年祭
  • 2月節分:節分星祭
  • 6月26日:火災除祈願祭
  • 9月22・23日:晴明神社祭[6]
    • 前日:宵宮祭
    • 湯立神宮の奉納、迎え提灯の氏子町内行列
    • 当日:例祭、神幸祭
    • 少年鼓笛隊を先駆とし、菊鉾、扇鉾、清風稚児、八乙女などが供奉する神興渡御
  • 9月26日:嵯峨墓所祭
  • 11月23日:御火焚祭

交通

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脚注

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  1. ^ 『京都大事典』株式会社淡交社、1984年11月12日、544頁。 
  2. ^ 『京都名勝誌』京都市、1928年、315頁。 
  3. ^ 『京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之六-十一』平安考古学会、1915年、12頁。 
  4. ^ a b 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.207 ISBN 9784569616186
  5. ^ 陰陽師を祀るパワースポット!「晴明神社」の見どころを徹底解説 | TABI CHANNEL”. tabichannel.com. 2023年11月28日閲覧。
  6. ^ 『京都大事典』株式会社淡交社、1984年11月12日、544頁。 

関連項目

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外部リンク

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