景湣王(けいびんおう)は、中国戦国時代の君主(在位:紀元前243年 - 紀元前228年)。君主としては7代目、王としては5代目。(ぞう)、または。父は安釐王。子は戦国四君の一人である信陵君は叔父、前漢に仕えた魏無知は従弟にあたる。その治世は『史記』「魏世家」に記述がある。

景湣王 魏増
第5代王
王朝
在位期間 前243年 - 前228年
都城 大梁
姓・諱 魏増
生年 不詳
没年 景湣王15年(前228年
安釐王

生涯

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即位する前にの人質となっていた時期がある[1]

安釐王34年(前243年)、父の安釐王が死去したため即位した。同年には秦を恐れさせた叔父の信陵君も死去した[1]。信陵君の死去を知った秦は直ちに魏の侵略を開始[2]

景湣王元年(前242年)、秦は魏の20城を攻め落とし、そこに秦の東郡を設置した[3]

景湣王2年(前241年)、魏はと合従して秦を攻めたが、敗れた[4]。同年に朝歌を秦に奪われた[3]

景湣王3年(前240年)、秦軍に汲を奪われた[3]

景湣王5年(前238年)、垣・蒲陽・衍などが秦に奪われた[3]

景湣王8年(前235年)、魏は秦と連合し、楚を攻めた[5]

景湣王15年(前228年)、在位15年目に死去した[3]。太子の假が跡を継いで王となったが、3年後に魏は滅亡した。

脚注

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  1. ^ a b 『史記の事典』454頁
  2. ^ 『史記の事典』261頁
  3. ^ a b c d e 『史記』「魏世家」
  4. ^ 『史記の事典』586頁
  5. ^ 『史記』「楚世家」

参考文献

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先代
安釐王
の君主
紀元前242年 - 紀元前228年
次代
王假