昭和硫黄島
昭和硫黄島(しょうわいおうじま)は、鹿児島県鹿児島郡三島村に属する無人島。海底火山の噴火によって1934年(昭和9年)から翌年にかけて、新たに形成された島嶼である。新硫黄島とも呼ばれる[1]。
昭和硫黄島 | |
---|---|
昭和硫黄島の空中写真 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1977年撮影) | |
所在地 | 日本 |
所在海域 | 東シナ海 |
座標 | 北緯30度48分15秒 東経130度20分25秒 / 北緯30.80417度 東経130.34028度座標: 北緯30度48分15秒 東経130度20分25秒 / 北緯30.80417度 東経130.34028度 |
面積 | 0.07 km² |
海岸線長 | 1.3 km |
最高標高 | 26 m |
人口 | 無人 |
プロジェクト 地形 |
概要
編集鹿児島県薩摩半島南端より南へ約30kmの洋上、通称上三島、三島村に属する薩摩硫黄島の東、約2kmの海上に位置しており、周囲1.3km、面積0.07km2[2]、最高地点標高26m[3]の流紋岩[4]質の溶岩で覆われた無人島である。
行政区域上は、三島村大字硫黄島の小字「昭和硫黄島」であり、1952年(昭和27年)2月9日の鹿児島県告示73号( 大島郡十島村大字硫黄島に属する新島嶼の字の名称)により翌日の同年2月10日付で小字の区域が設定された。
新たな島の形成
編集別名、鬼界ケ島とも呼ばれる硫黄島(薩摩硫黄島)は、古くから活発な火山活動を続ける火山島であり、現在も周囲の海域では温泉湧出による変色域が多数見られ、島の玄関港である硫黄島港は、鉄分を大量に含んだ温泉水により常に海水が茶褐色に染められている。
1934年(昭和9年)9月6日または12日[5]、地震活動が硫黄島周辺で活発になり、海水の沸騰や火山灰の浮遊、海水混濁が見られ、20日には噴煙が立ち上り火山性の軽石が観察されるなど本格的な海底火山活動が始まった。12月7日に新島が出現し、12月23日には高さ約20-30メートルの火口丘が確認され、直後に一旦海中に没し消滅したものの、翌1935年(昭和10年)1月5日に再び新島が出現した。その後は溶岩流などが生じ陸地が形成され、新島は安定的に成長を続けた。噴火活動が落ち着いた3月8日には硫黄島の住民が新島に上陸しており、4月1日に行われた調査では、噴火活動はほとんど終息していることが確認された。
新島形成の経過
編集噴火の推移、新島誕生の経過は著名な地理学者である田中館秀三[6]により詳細に調査され、田中館によって書かれた複数の論文記録が残されている。
以下、昭和硫黄島形成の経過記録を記す。
- 1934年(昭和9年)
- 9月6日または12日23時頃[5]、地震活動開始
- 9月13日 午前中を中心に地震回数増大
- 9月17日 海水沸騰、火山灰浮遊を確認
- 9月18日 海水混濁確認
- 9月20日 噴煙、軽石による浮島を確認
- 9月21日 噴煙の高度が1,000メートルに達する
- 11月25日 初めて降灰を確認
- 12月7日 新島を確認
- 12月23日 新島の火口丘の高さが20-30メートルに成長
- 12月25-30日頃 海中に水没、消滅
- 1935年(昭和10年)
- 1月5日 再度、新島出現
- 1月19日 黒煙及び白煙を伴う溶岩塊の放出を確認
- 1月22日 ph5.3の酸性雨水を硫黄島で測定
- 3月1日 火山灰、ガス等を含む降雨が減少
- 3月8日 硫黄島住民により新島への初上陸が行われる
- 4月1日 噴煙等が見られなくなり、ほとんどの火山活動が終息
新島が誕生した位置は海中カルデラである鬼界カルデラ北縁の水深約300メートルであり、そこから新島が形成されるために必要なマグマ噴出量は、雲仙平成新山のマグマ噴出量(0.18km3)に匹敵、もしくは上回るものと考えられている。 こうして誕生した新島は昭和硫黄島と呼ばれ、海蝕などにより消滅することもなく21世紀現在も存在している。
脚注・出典
編集- ^ 国土地理院発行2万5千分1地形図での表記に従い、この項では昭和硫黄島とする。2万5千分1地形図、薩摩硫黄島
- ^ 中央公論社『にっぽん 島の旅5 沖縄・薩南の島々』 1984年5月18日 第1刷 p134 ISBN 978-4124024555
- ^ 薩摩硫黄島 海域火山データベース 海上保安庁海洋情報部
- ^ 薩摩硫黄島、気象庁
- ^ a b 海上保安庁海洋情報部の海域火山データベース・薩摩硫黄島によると、群発地震が開始したのは9月6日である。一方、産業技術総合研究所・地質調査総合センターの昭和硫黄島噴火経緯によれば、群発地震が開始したのは12日23時ごろのことである。
- ^ 田中館秀三は明治期にイタリアへ留学した日本の最初期の火山・地理学者でベスビオ火山の研究で知られている。昭和18年に誕生した昭和新山の命名者は田中館である。
参考文献
編集- 昭和硫黄島噴火経緯 産業技術総合研究所・地質調査総合センター