春風亭一朝
春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月10日 - )は、日本の落語家。落語協会所属。本名:浮ヶ谷 克美。 出囃子は『菖蒲浴衣』。東京都足立区出身。
Shumpûtei Icchô | |
春風亭一朝定紋「沢瀉」[注釈 1] | |
本名 | |
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別名 | |
生年月日 | 1950年12月10日(74歳) |
出身地 | 日本・東京都足立区 |
師匠 | 五代目春風亭柳朝 |
弟子 | 六代目春風亭柳朝 春風亭一之輔 春風亭三朝 春風亭一左 春風亭一蔵 春風亭梅朝 春風一刀 春風亭一花 春風亭一猿 春風亭朝枝 ニックス |
名跡 | 1. 春風亭朝太郎 (1970年 - 1973年) 2. 春風亭一朝 (1973年 - ) |
出囃子 | 菖蒲浴衣 |
活動期間 | 1970年 - |
所属 | 落語協会 |
受賞歴 | |
第4回国立演芸場花形新人大賞(1984年) 文化庁芸術祭優秀賞受賞(1986年) 第30回浅草芸能大賞奨励賞(2013年) | |
備考 | |
落語協会理事付役員(2001年 - 2006年) 落語協会理事(2006年 - 2010年) | |
経歴
編集東京都立化学工業高等学校在学中の1968年3月、五代目春風亭柳朝に入門。1970年4月に前座になる。前座名:朝太郎。
1973年9月に三遊亭勝馬、柳家せん八と共に二ツ目昇進、一朝に改名。大師匠彦六が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「三遊一朝」の名を貰っている。1980年3月、弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打に昇進する。
1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、三代目三遊亭小金馬(勝馬改め)、柳家せん八、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬とともに真打に昇進する。この頃師匠柳朝が脳梗塞に倒れる。
1984年 第4回国立演芸場花形新人大賞、1986年 文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
2007年3月、総領弟子朝之助が六代目春風亭柳朝を襲名し、真打に昇進する。2012年3月、二番弟子一之輔が21人抜きの大抜擢で真打に昇進する。
2013年 第30回浅草芸能大賞奨励賞受賞。2020年3月 第70回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞[1]。
芸歴
編集役職
編集人物
編集「イッチョウ懸命(一生懸命の“一生”と“一朝”をかけたもの)…(大半はこの後に「頑張ります」などが続く)」がキャッチフレーズ。
五代目春風亭柳朝の総領弟子。師匠柳朝と同じく江戸前噺家である。またNHK大河ドラマ『龍馬伝』をはじめとしたNHKの時代劇ドラマの江戸ことば指導、映画『みをつくし料理帖』の廓言葉の指導も行なった[2]。
柳朝の師匠八代目林家正蔵にとって最初の孫弟子である。実際に、最初に入門を願い出た先は彦六の門であり、彦六は高齢であったうえに当時は林家あとむ(現:三代目八光亭春輔)、林家九蔵(現:三遊亭好楽)の2人が前座の身で、これ以上は面倒が見切れないということから、総領弟子柳朝に頼み、柳朝も快く引き受けたというエピソードがある。ただし、彦六はその後に上蔵(現:三代目桂藤兵衛)、時蔵、正雀を直弟子に採っている(3人はいずれも彦六の死去に伴い、他の弟子門下へ移籍している)。
演目
編集廓噺
編集メディア
編集CD
編集- 『寄席囃子』(全2巻、NHKサービスセンター、1994年発売)※落語芸術協会企画だが、笛を担当。
- 『決定版 寄席ばやし』(キングレコード、2003年発売)※笛を担当。
- 『寄席ばやし』(キングレコード、2005年発売)※『決定版…』のジャケット差し替え版。
- 『ミュージックサプリ〜小咄編〜』(コロムビア、2005年発売)※五街道雲助と共に小咄を収録。
- 『新潮落語倶楽部その5 春風亭一朝』(ポニーキャニオン、2011年発売)
- 『春風亭一朝1「朝日名人会」ライヴシリーズ121』(ソニー・ミュージックダイレクト、2017年発売)
テレビ
編集- 御法度落語 おなじはなし寄席!(2021年2月20日、BS朝日)「あたま山」
映画
編集- 二つ目物語(2022年、林家しん平監督、クロスロード)
一門弟子
編集真打
編集二ツ目
編集色物
編集- ニックス(漫才)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞及び同新人賞の決定について”. 文化庁 (2020年3月4日). 2020年6月6日閲覧。
- ^ 伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版、2021年11月25日、298-299頁。ISBN 9784620327105。