明石町 (神戸市)
神戸市中央区の町
明石町(あかしまち)は兵庫県神戸市中央区の町名。郵便番号650-0037[2]。
明石町 | |
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北緯34度41分18秒 東経135度11分27秒 / 北緯34.68833度 東経135.19083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 兵庫県 |
市町村 | 神戸市 |
区 | 中央区 |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
650-0037[2] |
市外局番 | 078 (神戸MA)[3] |
ナンバープレート | 神戸 |
地理
編集神戸外国人居留地の西から2番目の道路沿いにあたる。北は三宮町、東は播磨町、南は海岸通、南西は前町、西は西町。丁目には分かれない。
商業地域。 『角川日本地名大辞典』によれば大丸神戸店、三菱銀行神戸ビル、住友生命神戸ビル、泰和ビル(フィリピン共和国総領事館)などがあったという。また、明海ビル(震災により倒壊)、日本毛織、大丸南1号別館など近代建築が残っていたという[4]。
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歴史
編集明石町とは元々居留地を南北に走る道路うち西から2番目の筋で、道幅11.7m、長さ325.8m。名前は有名な地名明石市に因んでおり、これは居留地の他の町と同様に著名な地名から付けられた。通りの名が行政上の町名として使用されるのは、1899年 (明治32年) の条約改正によって居留地が返還された後で、それまでは「居留地○番地」といった風に呼んでいた。
年表
編集- 1870年 (明治3年) - 神戸最初のキリスト教会(後の中山手カトリック教会)が設立、(1923年)(大正12年) に中山手通に移転するまでここに存在した。
- 1872年 (明治5年) - 各通りに名前が付けられる。
- 1899年 (明治32年) - 居留地返還により神戸市の町名になる。
- 1917年-1919年 (大正6-8年) - アメリカ領事館が置かれる。
- 1927年 (昭和2年) - 大丸屋呉服店(後の大丸神戸店)が元町通四丁目から移転。
- 1927年-1932年 (昭和2-7年) - ウルグアイ領事館が置かれた。
- 1930年 (昭和5年) - オランダ領事館が置かれる。
- 1934年 (昭和9年) - 前町・仲町(東西を走る中央の通り)・裏町(最北端の通り)の各一部を編入。
世帯数と人口
編集2021年(令和3年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
明石町 | 0世帯 | 0人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 神戸市立こうべ小学校 | 神戸市立神戸生田中学校 |
交通
編集鉄道
編集町内に鉄道駅はないが、旧居留地・大丸前駅(三宮町)が大丸神戸店地下2階と直結している。また、元町駅も徒歩圏内で、町内各施設の最寄り駅として案内される。
バス
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道路
編集- 西国街道
- メリケン波止場山本線
- 仲町線
施設
編集脚注
編集- ^ a b “住民基本台帳に基づく人口(町丁目別・年齢別)”. 神戸市 (2021年12月31日). 2022年1月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年1月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月20日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 1988
- ^ “神戸市町別世帯数・年齢別人口(国勢調査)”. 神戸市. 2009年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月22日閲覧。
- ^ “神戸市小中学校区一覧”. 神戸市. 2022年1月20日閲覧。
参考文献
編集- 神戸史学会 編『神戸の町名 改訂版』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 978-4-343-00437-6。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 編『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』角川書店、1988年。ISBN 978-4040012803。