明石家のんき
明石家 のんき(あかしや のんき、1967年11月28日[1] - )は、落語家、ロック歌手。本名∶明石 弘之[1]。吉本興業所属。上方落語協会会員。
笑福亭一門の定紋である「五枚笹」 | |
本名 | 明石 弘之 |
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生年月日 | 1967年11月28日(57歳) |
出身地 | 日本 兵庫県西宮市 |
師匠 | 二代目笑福亭松之助 |
名跡 | 1. 笑福亭梅之助 (1975年 - 1990年) 2. 明石家のんき (1990年 - ) |
出囃子 | ロック・アラウンド・ザ・クロック |
活動期間 | 1975年 - |
家族 | 二代目笑福亭松之助(父) パーポ明石(弟) |
所属 | 吉本興業 |
公式サイト | 明石家のんきの のんきな日記 |
備考 | |
上方落語協会会員 | |
来歴・人物
編集父・松之助の師匠である5代目笑福亭松鶴の本名・竹内梅之助に由来する「笑福亭 梅之助(しょうふくてい うめのすけ)」の高座名を、生まれる前に与えられた。
8歳となる年の1975年8月、実父・松之助に弟子入りし、同年に梅之助の名で初高座。この頃から日本舞踊、小唄、三味線などに精進し、これらでも舞台を踏んだ。仁川学院高等学校を卒業した[1]。
1990年、笑福亭梅之助から「明石家 のんき」に改名。兄弟子の明石家さんま(1974年入門)と同じ亭号となった。このため、さんまの直弟子と勘違いされることがあるという。さんまはのんきのことを「ヒロくん」と呼ぶ。
松之助の兄弟子・6代目笑福亭松鶴の甥弟子にあたり、笑福亭仁鶴・笑福亭鶴光・笑福亭鶴瓶などは従兄弟弟子にあたる。
吉本興業所属としてデビューし、その後松竹芸能に移籍し、再び吉本の専属に戻った[要出典][2]。上方落語協会を師匠・松之助と同じく退会していたが、2012年の総会よりのんきのみ協会復帰した[要出典]。
リーゼントスタイルになでつけ前髪を大きく盛り上げた、ロカビリーミュージシャンを彷彿させる髪型が特徴。高座に上がり、まず客席をにらみ付けるのが恒例。主に父から受け継いだ古典落語を得意とする。
親子での落語会「のんきな落語会」を主催するほか、「花形寄席」などに出演するかたわら、ロック歌手としてのライブ活動や司会業を行っている。
メディア出演
編集テレビ番組
編集- レギュラー
- 読売ザKANSAI/関西トピックス(日テレG+)
- ハロハロNight(FM COCOLO 2005年-2007年)
- てれびの耳80S(ケーブルウエスト コミュニティチャンネル)
- キラりん滋賀545(びわ湖放送)
- 8時です! 生放送!!(J:COMチャンネル関西)
- 祇園笑者(読売テレビ 2013年-2015年) - 「明石家大明神ののんきな悩み相談」コーナー
- 笑い飯・千鳥の舌舌舌舌(サンテレビ 2013年) - VTR企画
- 笑い飯のおもしろテレビ(サンテレビ 2013年- ) - VTR企画
- 特番・ゲスト出演
- よしもと情熱コメディ〜TVのウラ側で大騒ぎ!モンスターAD奮闘記〜(読売テレビ 2012年)
- 第27回なにわ淀川花火大会(J:COMチャンネル関西 2015年8月8日) - 司会
映画
編集脚注
編集- ^ a b c 明石家のんき 天満天神繁昌亭 落語家名鑑
- ^ 吉本の公式プロフィールでは復帰年でなく、デビュー年の「1975年入社」と扱われている。
- ^ 笑福亭松之助『草や木のように生きられたら』 ヨシモトブックス、2016年(ISBN 9784847094248)pp.246-252
関連項目
編集外部リンク
編集- 明石家のんき 上方落語家名鑑 - 上方落語家名鑑
- 吉本興業公式プロフィール - 吉本興業公式プロフィール
- 明石家のんき - 株式会社キャラ
- 明石家のんきの のんきな日記 - ウェイバックマシン(2009年9月18日アーカイブ分) - 公式ブログ 閉鎖中