新都郡
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孫呉の新都郡
編集本節では、後漢末に現在の浙江省杭州市や安徽省黄山市にまたがる地域に設置された新都郡について述べる。208年(建安13年)、孫権により丹陽郡を分割して新都郡が立てられた。新都郡は始新・黟・歙・新定・黎陽・休陽の6県を管轄した[1]。280年(太康元年)、晋が呉を平定すると、新都郡は新安郡と改められた[2]。
西晋の新都郡
編集本節では、晋代に現在の四川省北東部に設置された新都郡について述べる。266年(泰始2年)、広漢郡を廃止して新都郡が立てられた。新都郡は梁州に属し、郡治は雒県に置かれた。西晋の新都郡は雒・什邡・綿竹・新都の4県を管轄した[3]。277年(咸寧3年)、司馬該が新都王となり、新都郡は新都国と改められた。283年(太康4年)、新都王司馬該が死去し、新都国は新都郡と改められた。[4]。285年(太康6年)、新都郡は廃止されて、広漢郡が復活した[5]。