斉藤浩哉

日本のスキージャンプ選手、指導者
斎藤浩哉から転送)

斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、雪印乳業所属のスキージャンプ選手で、2003年に引退し現在は指導者。北海道余市郡余市町の出身。同学年に岡部孝信がいる。

斉藤浩哉

現役時代の斉藤浩哉
基本情報
誕生日 (1970-09-01) 1970年9月1日(54歳)
出身地 日本の旗 日本
北海道余市郡余市町
選手情報
クラブ 雪印
ワールドカップ
シーズン 1991年-2002年
優勝回数 2回
他の表彰台 14回
表彰台獲得数 16回
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 スキージャンプ
オリンピック
1998 長野 ラージヒル 団体
ノルディックスキー世界選手権
1995 サンダーベイ ノーマルヒル 個人
1997 トロンハイム ラージヒル 団体
1995 サンダーベイ ラージヒル 団体
最終更新日:
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プロフィール

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スキージャンプの盛んな余市町にあって10歳のときにジャンプを始めた[1]。余市町立沢町小学校、余市町立西中学校、余市高校を経て1989年4月に雪印乳業に入社。

現役時代は「教科書」とも評された基本に忠実な、安定したジャンプスタイルで、1997年-1998年シーズンには3度あった日本のW杯表彰台独占において唯一3度全てで表彰台に上がり(1月1日・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン:1位船木、2位原田3位斉藤。1月11日・ラムソー:1位原田、2位船木、3位斉藤。3月1日・ヴィケルスン:1位岡部2位斉藤、3位葛西)、長野五輪では団体戦の2番手として1回目130m、2回目124mと非常に堅実なジャンプで実力を見せつけ、団体の全選手で4番目の合計得点を挙げて日本の金メダル獲得に大きく貢献した。しかし長野五輪後は度重なるケガに泣かされた。1998年7月に右膝の前十字靭帯、1999年6月には左膝の膝蓋腱英語版(しつがいけん)3カ所を断裂したがそのたびに復活した。

2003年3月に現役引退[2]雪印乳業のコーチに就任、2006年4月より同監督に就任。 2014年春に監督を退き、現在は社業に携わっている。

主な競技成績

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冬季オリンピック

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ノルディックスキー世界選手権

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スキージャンプ・ワールドカップ

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  • FISワールドカップ通算2勝 (2位4回3位10回)
  • 初出場 1991年12月14日   日本・札幌
  • シーズン個人総合最高成績 - 5位が最高位 (1996/97シーズン、1997/98シーズンの2回)
優勝
シーズン 開催日 開催地 種目 成績
1995–96 1995年12月17日   シャモニー ノーマルヒル 優勝(1)
1996–97 1997年2月2日   ヴィリンゲン ラージヒル 優勝(2)

日本国内での主な競技成績

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外部リンク

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