斎藤徳匡
大日本帝国陸軍軍人
斎藤 徳匡(齋藤 徳匡、さいとう のりまさ、1874年(明治7年)12月18日 - 1945年(昭和20年)7月11日[要出典])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
斎藤 徳匡 | |
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生誕 |
1874年12月18日 日本 東京府 |
死没 | 1945年7月11日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1924年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集東京府出身[1][2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第8期卒業[1][2]。
大津連隊区司令官を経て、1920年(大正9年)1月に陸軍歩兵大佐、1921年(大正10年)6月に歩兵第9連隊長となり、1924年(大正13年)2月4日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同月26日に予備役に編入した[1][2][3]。墓所は多磨霊園(24-1-34)
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。