斎藤寮
日本の元ラグビー選手及び同監督
(斉藤寮から転送)
プロフィール
編集来歴
編集第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。
また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。
現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。同チームが1936年の初対戦以降、幾度となく対戦しながらもどうしても勝つことができなかった、ニュージーランド学生代表クラブ(略称:NZU)との一戦で、敵地である、ニュージーランドのウェリントンで初めて勝利をもたらした。その後、日本代表監督としては、1976年~1978年、1980年~1981年の各年代においても歴任した。
関連項目
編集参考文献
編集- 『ラグビー 早明戦80年』 (ベースボール・マガジン社、ISBN 4583613016)の73ページ
- 『ザ・ワールドラグビー』 (大友信彦 編、新潮社、ISBN 4104627011)の35ページと94ページ
脚注
編集- ^ 元ラグビー代表監督、北島メイジ参謀の斎藤氏が死去 89歳 スポーツニッポン 2015年11月3日閲覧