政和温泉駅
政和温泉駅(せいわおんせんえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町字政和第一にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。
政和温泉駅 | |
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せいわおんせん Seiwa-Onsen | |
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所在地 | 北海道雨竜郡幌加内町字政和第一[1] |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 深名線 |
キロ程 | 56.2[1] km(深川起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1961年(昭和36年)12月1日 |
廃止年月日 | 1990年(平成2年)3月10日 |
歴史
編集深名線では1955年(昭和30年)8月9日にレールバス(キハ01形)の運行が開始されたが、それに伴って多数開業した仮乗降場由来の駅の一つである[2]。利用者減少により深名線廃止に先立つ1990年(平成2年)3月10日に廃駅となった。
年表
編集- 1955年(昭和30年)8月20日:日本国有鉄道深名線の下政和仮乗降場(局設定)として開業[1]。
- 1961年(昭和36年)12月1日:200 m深川方に移転して政和温泉仮乗降場(局設定)に改称[1][3][注釈 1]。
- 不明(1966年以降):待合室[4]設置[注釈 2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。正規の駅となり政和温泉駅となる[1]。毎年12月1日 - 4月20日の間は全列車通過の臨時駅の扱い[1]。
- 1990年(平成2年)3月10日:冬季休業中のまま廃止[1]。
駅名の由来
編集改称後の名称は当駅の所在地近辺の温泉名(政和温泉)より。この地の入植者が鉱泉を発見し、1918年(大正7年)に温泉免許を取得して温泉宿を開いたが、経営が振るわず、冷泉だったため燃料代に窮した事や主人が亡くなったため一旦廃業となった[5]。1960年(昭和35年)になって町が温泉の成分を分析をしたところ有効成分が認められ、また交通面でも下政和仮乗降場が近くにあることから、町内有志が旧温泉宿の後継者と共に1961年(昭和36年)10月に(株)政和温泉を立ち上げ、町議会にも働きかけて翌1962年(昭和37年)6月に温泉旅館を新築し開業した[5]。またこれに合わせて仮乗降場を温泉旅館の近くへ移転させ、駅名も改めた[1][注釈 1]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(名寄方面に向かって右手側)に存在した[4]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた[4]。
駅前に立地していた政和温泉の泉源が枯渇したため温泉旅館は1981年(昭和56年)5月に休止した後、1986年(昭和61年)に建物を解体して廃業した[6]。駅はその後もしばらく営業した後廃止となった[7]。なお、温泉は場所を変えて町有の観光施設「せいわ温泉ルオント」として1994年(平成6年)に復活している。
駅周辺
編集- 国道275号(空知国道)
- 北海道道938号伊文政和線
- 政和温泉 - 種村直樹の著書『鈍行列車の旅』(日本交通公社、1979年)に、1976年(昭和51年)3月に種村自身が訪問した際の様子が当駅とともに紹介されている[注釈 3]。旅館は駅前にある一軒家で、利用客向けにジンギスカンが販売されており、腰にタオルを巻いただけの姿だけでも食べることができた[8]。駅の休止する冬期は温泉も営業を休止していた。旅館は1981年(昭和56年)に泉源の枯渇で休止した後、1986年(昭和61年)に廃業している。
- 道の駅森と湖の里ほろかない
- せいわ温泉ルオント - 道の駅に併設。当駅の廃駅後の開業。
- ジェイ・アール北海道バス深名線「ルオント前」停留所
- 雨竜川[9]
駅跡
編集2011年(平成23年)時点では駅関連施設はすべて撤去されている[10]。
また、2000年(平成12年)時点では、駅跡の雨煙別方の雨竜川に架橋されていた鉄骨ガーダー橋である「第三雨竜川橋梁」が残存し[11]、2010年(平成22年)時点[12]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[10]。この橋は公益社団法人土木学会により土木学会選奨土木遺産に選定されている[12]。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集- ^ a b 一方、国土地理院 2万5千分の1地形図では、1956年(昭和31年)測量図・1968年(昭和43年)測量図・1983年(昭和58年)測量図の当駅の推移を見ると、下政和仮乗降場がそのままの位置で政和温泉仮乗降場となり、その後(1968年から1983年の間)に移転した形になっている。
- ^ 幌加内町史 P891、1966年(昭和41年)7月11日に待合室設置を鉄道局へ請願。
- ^ 逝去後の2015年(平成27年)に刊行された『鈍行最終気まぐれ列車』(実業之日本社)pp.49 - 51にこの内容が再録されている。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、847頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c 白山, 友正 編『幌加内村史』幌加内村、1958年11月1日、531頁。doi:10.11501/3025390 。
- ^ 幌加内町史 1971年9月発行、P727。
- ^ a b c 書籍『追憶の鉄路 北海道廃止ローカル線写真集』(著:工藤裕之、北海道新聞社、2011年12月発行)101ページより。
- ^ a b 新幌加内町史 P1024-1027。
- ^ 新幌加内町史 2008年10月発行、P1026。
- ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)76ページより。
- ^ 前記種村直樹の文による。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)178ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)35-36ページより。
- ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)41-43ページより。