忠生村

日本の東京都南多摩郡にあった村

忠生村(ただおむら)は、かつて東京都南多摩郡に存在したである。1958年(昭和33年)、隣接する1町2村との合併により町田市となり廃止された。

ただおむら
忠生村
廃止日 1958年2月1日
廃止理由 新設合併
町田町忠生村鶴川村堺村町田市
現在の自治体 町田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
南多摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 東京都:南多摩郡町田町、鶴川村、堺村、多摩村由木村
神奈川県相模原市
忠生村役場
所在地 東京都南多摩郡忠生村大字図師190-1[1]
座標 北緯35度34分42秒 東経139度24分57秒 / 北緯35.57839度 東経139.41583度 / 35.57839; 139.41583座標: 北緯35度34分42秒 東経139度24分57秒 / 北緯35.57839度 東経139.41583度 / 35.57839; 139.41583
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概要

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現在の町田市の町名では山崎町山崎木曽町木曽東木曽西忠生根岸根岸町矢部町常盤町図師町上小山田町下小山田町小山田桜台にほぼ相当する。

現在でも町田市ではこの旧村域を「忠生地域」「忠生地区」としているほか、「忠生」という町名として、また「忠生市民センター」や「忠生中学校」のように、施設や学校名にその名を残している。

村長 

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  • 加藤茂 1889年6月〜1893年6月
  • 守屋五左衛門 1893年10月〜1901年3月
  • 河合半造 1901年4月〜1906年7月
  • 鈴木義助 1906年9月〜1909年9月
  • 守屋寛一 1909年10月〜1913年10月
  • 小川喜代八 1913年11月〜1925年12月
  • 鈴木弥右衛門 1925年12月〜1929年12月
  • 板倉正寿 1930年2月〜1931年2月
  • 中里平七郎 1931年3月〜1935年3月
  • 薄井薫 1935年4月〜1940年2月
  • 小川勝太郎 1940年5月〜1942年5月
  • 佐藤順正 1942年12月〜1946年4月
  • 薄井薫 1946年4月〜1947年4月
  • 天野佐一郎 1947年4月〜1951年4月
  • 渋谷市十郎 1951年4月〜1955年4月
  • 佐藤順正 1955年5月〜1958年1月

歴史

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名称の由来

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小山田高家という忠臣が生まれた土地であることから。高家は『太平記』に新田義貞の身代わりとして湊川の戦いで討ち死にしたという記述がある[2]

町田市下小山田町にある大泉寺小山田氏の居城跡といわれる[2]

沿革

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地理

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脚注

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  1. ^ 現在の町田市忠生市民センター付近
  2. ^ a b 町田の歴史をさぐる編修委員会『町田の歴史をさぐる』、1978年

関連項目

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