徳川河岸駅
かつて群馬県太田市徳川町(設置時:新田郡世良田村徳川、廃止時:新田郡尾島町徳川)にあった東武鉄道の貨物駅
徳川河岸駅(とくがわがしえき)は、かつて群馬県太田市徳川町(設置時:新田郡世良田村徳川、廃止時:新田郡尾島町徳川)にあった東武鉄道徳川河岸線の貨物駅(廃駅)である。
徳川河岸駅 | |
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とくがわがし Tokugawagashi | |
◄木崎 (3.2 km) (- km) 平塚河岸► | |
所在地 | 群馬県新田郡尾島町徳川(現・太田市徳川町) |
所属事業者 | 東武鉄道 |
所属路線 | 徳川河岸線 |
キロ程 | 3.2 km(木崎起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)11月27日 |
廃止年月日 | 1968年(昭和43年)6月11日 |
備考 | 貨物専用駅 |
ここでは、(貨)平塚河岸駅も含めて記述する。
歴史
編集徳川河岸線は、利根川で採取した砂利を運搬するために、伊勢崎線木崎駅と徳川河岸駅の2駅間を結ぶ路線であった。1925年(大正14年)に開業。1965年(昭和40年)には電化もされたが、1968年(昭和43年)に廃止。利根川の河床低下や法規制強化により、砂利採取が不能となったことによる[1]。
なお、徳川河岸駅の先には平塚河岸駅があり、両駅間は「平塚側線」とも呼ばれた[1]。
年表
編集駅構造
編集当駅の詳しい構造は不明である。
廃止後の現状
編集駅周辺
編集当駅周辺は利根川と早川に挟まれた田園地帯である。
- 國分徳川砕石場
- 徳川橋
- 群馬県道298号平塚亀岡線
- 永徳寺
- 上武ゴルフ場
- 平塚水質浄化センター
- 群馬県道・埼玉県道14号伊勢崎深谷線
- 上武大橋
平塚河岸駅
編集平塚河岸駅 | |
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ひらつかがし Hiratsukagashi | |
◄徳川河岸 (- km) | |
所属事業者 | 東武鉄道 |
所属路線 | 東武徳川河岸線(平塚側線) |
開業年月日 | 1925年(大正14年)11月27日 |
廃止年月日 | 1968年(昭和43年)6月11日 |
備考 | 貨物専用駅 |
平塚河岸駅(ひらつかがしえき)は、かつて存在した東武鉄道徳川河岸線の貨物駅(廃駅)である。当駅の詳しい所在地や構造は不明である。
徳川河岸駅の先にあり、両駅間は「平塚側線」とも呼ばれた。開業および廃止は徳川河岸駅と同日である[1]。
駅名となった「平塚(ひらづか)河岸」は、群馬県伊勢崎市境平塚にあった河岸である。江戸時代、利根川水運(河川舟運)の拠点として栄え、元禄までは足尾銅山で産出した銅の積み出しも担っていた。明治以降、鉄道路線の整備により衰退したが、当時栄えた河岸問屋の土蔵などが現在も残されている[6][7][8]。
隣の駅
編集- 東武鉄道
- 徳川河岸線
- 木崎駅 - (貨)徳川河岸駅 - (貨)平塚河岸駅
脚注
編集- ^ a b c d e f 『東武鉄道百年史』297、299ページ、資料編209ページ。
- ^ 官報. 1925年12月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 大正元年〜15年|会社の沿革 - 東武鉄道
- ^ 昭和41年〜63年|会社の沿革 - 東武鉄道
- ^ 『東武鉄道百年史』187、236ページ。
- ^ “群馬のシルクロード 史跡・その他編”. 群馬県生涯学習センター. 2017年1月22日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 10 群馬県』815 - 817ページ。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三編集『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4040011007
- 東武鉄道社史編纂室編集『東武鉄道百年史』東武鉄道、1998年。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 3 関東1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790021-0。
関連項目
編集外部リンク
編集- 1963年測量の2500国土基本図 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- 地図に徳川河岸線が「東武鉄道徳川線」として描かれているが、駅名の記載はない。
- 1960年12月2日撮影の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- 写真中央2か所に駅らしきものが見える。また砂利用のホッパーおよび利根川堤防に繋がるトロッコ線も見える。
- 1960年12月2日撮影の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- 写真中央辺りに利根川(平塚河岸付近)の砂利採石場および当駅へ繋がるトロッコ線が見える。