徐 在應(ソ・ジェウン、1977年5月24日 - )は、大韓民国全羅南道光州広域市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

徐 在應(ソ・ジェウン)
Jae-Woeng Seo
NCダイノス 首席コーチ
2007年の徐在応
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 全羅南道光州広域市
生年月日 (1977-05-24) 1977年5月24日(47歳)
身長
体重
181 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 アマチュアFAでニューヨーク・メッツと契約
初出場 MLB / 2002年7月21日
KBO / 2008年4月1日
最終出場 MLB / 2007年5月29日
KBO / 2015年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
WBC 2006年2013年
ソ・ジェウン
各種表記
ハングル 서재응
漢字 徐在應
発音: ソジェウン
ローマ字 Seo Jae-eung
本人表記: Seo Jae-Woeng
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略歴

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メジャー時代

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仁荷大学在学中の1998年1月6日にニューヨーク・メッツにスカウトされ入団。本来速球派ピッチャーとして期待を集めたが、マイナー在籍中に肘を故障。トミー・ジョン手術を受けるなど、苦労が続いた。術後は、球速が回復できず、技巧派への転身を余儀なくされる。以後、制球に磨きをかけて、2002年にメジャーデビューを果たす。

2003年、メッツ先発陣の崩壊で先発5番手としてローテーションに定着。9勝止まりだったが、防御率は3点台と悪くなく、当時のメッツのチーム事情から見ると健闘したと言える成績だった。

 
ロサンゼルス・ドジャース時代
(2006年6月7日)

2006年1月4日にデュアネル・サンチェススティーブ・シュモルとのトレードでティム・ハムラックと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。また第1回韓国代表に選出された。2次リーグの日本戦の試合終了後、エンゼルスタジアムのマウンドに太極旗を立てた選手である。[1]この行為に日本が気分を害していると伝えられると、「日本の選手のことまで考えられない。あれは勝利のお祝いであり、自然な行為だった。」と反論した[2]。レギュラーシーズンでは6月まで2勝止まりで不安定なピッチングが続き、ブルペンに回された末、同年6月26日にトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍した。

2007年6月に成績不振からDFAとなり、ウェーバーにかけられたが獲得球団は現れず、デビルレイズ傘下のAAA級ダーラム・ブルズでプレー。10月3日にFAとなった。

起亜時代

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2007年12月に起亜タイガースと契約し、2008年からは韓国プロ野球でプレーすることになった。韓国プロ野球での1年目は故障に悩まされ戦線を離脱した時期が長く、5勝どまりだった。

2009年こそ本領発揮が期待されたが、調子が上がらずシーズン後半は中継ぎで起用されることも多く、チームは12年ぶりの韓国シリーズ優勝を飾ったが、あまり貢献できなかった。

2010年は先発ローテーションを守って安定した投球を続け、韓国3年目にして初めて規定投球回数に達したが、チームは前年の優勝から5位に転落してしまった。

2011年はチーム事情で4月はリリーフに回り、韓国初セーブを記録したものの、5月以降は先発に復帰した。

2012年は9月から10月にかけ、先発として44イニング連続無失点の韓国プロ野球新記録を樹立するなど活躍した。

2013年よりプロ野球選手会会長に就任。第3回WBC韓国代表にも選ばれ、1次ラウンドのオランダ戦で1試合リリーフ登板したが、チームは同ラウンドで敗退となった。

2014年は韓国で初めて未勝利に終わり、2015年も1勝だけだった。

2016年1月28日、現役引退を表明した[3]

現役引退後

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2016年より野球解説者として活動を始めた。2018年から2023年まで起亜のコーチだった。2025年よりNCダイノスの首席コーチとなる[4]

選手としての特徴

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高い制球力と落差の大きいチェンジアップをはじめとした多彩な変化球が持ち味だった。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2002 NYM 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 1.0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 .000
2003 32 31 0 0 0 9 12 0 0 .429 806 188.1 193 18 46 11 6 110 2 0 94 80 3.82 1.27
2004 24 21 0 0 0 5 10 0 0 .333 512 117.2 133 17 50 7 2 54 0 1 67 64 4.90 1.56
2005 14 14 1 0 0 8 2 0 0 .800 363 90.1 84 9 16 0 1 59 2 0 26 26 2.59 1.11
2006 LAD 19 10 0 0 0 2 4 0 0 .333 296 67.0 75 14 25 1 1 49 1 1 45 43 5.78 1.49
TBD 17 16 0 0 0 1 8 0 1 .111 411 90.0 122 17 31 3 3 39 4 0 56 50 5.00 1.70
'06計 36 26 0 0 0 3 12 0 1 .200 707 157.0 197 31 56 4 4 88 5 1 101 93 5.33 1.61
2007 11 10 0 0 0 3 4 0 0 .429 248 52.0 84 11 16 1 4 28 1 0 53 47 8.13 1.92
2008 起亜 16 14 0 0 -- 5 5 0 0 .500 346 79.1 90 7 25 0 4 45 1 0 37 36 4.08 1.45
2009 21 15 0 0 -- 5 4 0 0 .556 367 79.1 101 12 30 1 8 53 2 0 56 54 6.13 1.65
2010 24 23 0 0 -- 9 7 0 0 .563 572 140.0 134 10 29 1 11 68 1 0 53 52 3.34 1.16
2011 30 23 1 0 -- 8 9 2 2 .471 562 130.1 144 7 36 0 11 84 3 0 68 62 4.28 1.38
2012 29 28 2 2 -- 9 8 0 0 .529 663 160.0 143 7 36 1 7 64 1 0 51 46 2.59 1.21
2013 19 16 0 0 -- 5 9 0 0 .367 394 84.0 116 5 33 3 4 36 3 0 69 61 6.54 1.77
2014 16 1 0 0 -- 0 2 0 2 .000 152 32.1 45 6 10 0 3 18 0 0 25 23 6.40 1.70
2015 9 9 0 0 -- 1 4 0 0 .200 174 40.0 52 5 8 0 5 16 1 0 23 22 4.95 1.50
MLB:6年 118 102 1 0 0 28 40 0 1 .412 2639 606.1 691 86 184 23 17 340 10 2 341 310 4.60 1.44
KBO:8年 164 129 3 2 -- 42 48 2 4 .467 3230 745.1 825 59 222 6 53 417 12 0 382 356 4.30 1.40

背番号

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  • 38 (2002年)
  • 40 (2003年、2007年 - 2009年)
  • 26 (2004年 - 2006年途中、2010年 - 2015年)
  • 98 (2006年途中 - 同年終了、2018年 - 2023年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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