張広建
張 広建(ちょう こうけん)は清末民初の政治家、軍人。民国初期の数年間に甘粛省を統治した。北京政府、安徽派の要人である。字は勲伯。
張広建 | |
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Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1864年[1] |
死去: |
1938年(民国27年) 中華民国安徽省 |
出身地: | 清安徽省廬州府合肥県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 張廣建 |
簡体字: | 张广建 |
拼音: | Zhāng Guǎngjiàn |
ラテン字: | Chang Kuang-chien |
和名表記: | ちょう こうけん |
発音転記: | ヂャン グアンジェン |
事績
編集清末に候補知県となり、1911年(宣統3年)の辛亥革命の際には、山東布政使兼管漕運事宜に任命され、後に山東巡撫兼提督となった。1912年(民国元年)3月、山東都督に就任した。同年12月、京兆府尹に異動する。1914年(民国3年)3月、甘粛都督兼民政長に就任し、以後6年に渡り甘粛省を統治することになった。
1915年(民国4年)に袁世凱が皇帝に即位すると、張広建は一等子爵に封じられた。翌1916年(民国5年)6月の袁死後、張は安徽派に属した。1920年(民国9年)の安直戦争で安徽派が敗北すると、張も下野している。以後は天津の租界に隠棲した。日中戦争(抗日戦争)期には故郷の合肥に在ったが、親日政権への参加を日本側から求められて拒絶したため、迫害を受ける。その後、逃亡を図ったが、途中で病没した。享年75。
注
編集参考文献
編集- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 林世田・劉波「国家珍貴古籍特展:跨越千年的対話」『光明日報』中華読書報, 2009.6.24.
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
清
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中華民国(北京政府)
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