式守錦太夫 (12代)
12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光(おしだ ひろみつ)、1973年4月29日 - )は、大相撲の幕内格行司である。血液型はA型。千葉県柏市出身。現在は放駒部屋所属。元関脇・麒麟児(19代北陣)は義理の叔父にあたる[1]。
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基礎情報 | ||||
行司名 |
式守裕光 → 4代式守慎之助 → 12代式守錦太夫 | |||
本名 |
おしだ ひろみつ 押田 裕光 | |||
生年月日 | 1973年4月29日(51歳) | |||
出身 | 日本・千葉県柏市 | |||
所属部屋 |
二所ノ関部屋 → 松ヶ根部屋 → 二所ノ関部屋 → 放駒部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 幕内格行司 | |||
最高位 | 幕内格行司 | |||
初土俵 | 1989年3月場所 | |||
幕内格 | 2014年1月場所 | |||
趣味 | プロレス観戦 | |||
備考 | ||||
2021年12月24日現在 |
人物
編集もとは力士志望であったが身長が規定に足りず、柏市立柏中学校時代に麒麟児から行司としてスカウトを受けた[1][2]。中学卒業後の1989年(平成元年)3月場所で初土俵。1996年1月場所で旧二所ノ関部屋の名跡である式守慎之助(4代)を襲名。2006年3月場所で十両格に昇進した。
2013年1月場所後に二所ノ関部屋は所属力士が全員引退して消滅したため、松ヶ根部屋に移籍[3]。
2014年1月場所で幕内格に昇進すると同時に、先代(11代)の立行司昇進で空き名跡となっていた式守錦太夫(12代)を襲名した。同年12月1日に所属部屋師匠の9代松ヶ根が12代二所ノ関を襲名したことに伴って、所属部屋が二所ノ関部屋に戻った。ちなみに、新調された二所ノ関部屋の看板は錦太夫の筆によるものである[4]。2021年12月24日、所属部屋の師匠が18代放駒に代替わりしたため、放駒部屋所属になった[5]。
なお、式守慎之助から式守錦太夫を襲名する流れは、二所ノ関部屋の兄弟子にあたる29代木村庄之助や、10代式守錦太夫と同じである。軍配は29代庄之助からの譲り団扇で「中道実相」(どこからも等距離の円の中心のように公平な立場で)と記されている[6]。
本場所中は、土俵上の裁きだけでなく、場内アナウンスを務めている姿が目撃される。
2014年5月場所6日目、この日は東の幕内土俵入りで先導を務めるはずだったが、付け人の情報伝達ミスで錦太夫は当番であることを知らず、土俵入りに遅刻するハプニングを起こした。結局、土俵入りの先導は直前に西の土俵入りを担当した木村恵之助が代理を務めることになった[7]。
趣味はプロレス観戦。
略歴
編集脚注
編集- ^ a b 幕内格行司の式守錦太夫「今日の自分は親方のおかげ」元関脇の麒麟児悼む日刊スポーツ2021年4月13日付
- ^ 元関脇麒麟児、突然の訃報 30年前の“あの日”と変わらない柔らかな物腰日刊スポーツ2021年4月15日付
- ^ “二所ノ関部屋、完全に消滅…日本相撲協会が閉鎖を発表”. スポニチアネックス. (2013年1月29日)
- ^ 佐々木一郎『稽古場物語』ベースボール・マガジン社、2020年1月22日、155頁。ISBN 978-4-583-11263-3。
- ^ 「【初場所新番付】元横綱稀勢の里・荒磯親方 二所ノ関襲名し二所ノ関部屋」『日刊スポーツ』2021年12月24日。2021年12月24日閲覧。
- ^ 『知れば知るほど行司・呼出し・床山』p.33
- ^ “行司一時不在で幕内土俵入りが中断”. 日刊スポーツ. (2014年5月16日)
参考文献
編集- 「相撲」編集部『知れば知るほど行司・呼出し・床山』2019年5月15日発行、ベースボール・マガジン社 ISBN 978-4-583-11204-6
外部リンク
編集- 行司プロフィール 式守 錦太夫 - 日本相撲協会