広野太吉
広野 太吉(ひろの たきち、1887年〈明治20年〉1月4日[1] - 1943年〈昭和18年〉4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
広野 太吉 | |
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生誕 |
1887年1月4日 日本 東京府 |
死没 | 1943年4月19日(56歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1906年 - 1940年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第27期卒業[1]。1930年(昭和5年)8月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野砲兵第8連隊長に就任した[2]。1931年(昭和6年)8月に陸軍野戦砲兵学校教官に転じ[2]、1933年(昭和8年)1月31日に砲兵監部部員[2]、10月10日に第1師団参謀長を歴任した[2]。
1935年(昭和10年)3月15日に陸軍少将進級と同時に陸軍重砲兵学校幹事に着任[1][2]。12月2日に野戦重砲兵第1旅団長に転じ、1936年(昭和11年)8月に津軽要塞司令官を経て[1]、1937年(昭和12年)8月に陸軍野戦砲兵学校長に就任した[1]。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍中将に進級し[2]、7月15日に新規編制された第17師団長(中支那派遣軍・第13軍)に親補され[1]、日中戦争に出動[1]。武漢作戦では隷下部隊の第17歩兵団長、鈴木春松少将が率いる鈴木支隊を派遣[1][3]。蘇州・徐州を根拠地とし、討伐戦、清郷工作に任じた[1]。1940年(昭和15年)8月1日に参謀本部附となり[1]、9月28日に待命[1]、9月30日に予備役に編入された[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。