幸徳井友幸
幸徳井 友幸(かでい ともゆき、明徳2年(1391年) - 文明5年(1473年))は、室町時代の公家。兵庫頭・安倍友氏の次男。刑部卿・賀茂定弘の養子。官位は正三位・修理大夫。幸徳井家の祖。
経歴
編集陰陽助・賀茂定弘に付いて陰陽道を学んでいたが、応永26年(1419年)にその養子となり安倍姓から賀茂姓に改姓する。修理亮を経て、応永30年(1423年)従五位下・遠江守に叙任される。しばらく従五位下に留まるが、永享11年(1439年)正五位下に昇叙されると、嘉吉2年(1442年)従四位下、文安元年(1444年)修理権大夫に叙任される。享徳元年(1452年)正四位下に叙せられると、享徳2年(1454年)従三位に叙せられ公卿に列す。寛正4年(1463年)正三位に至る。
友幸は奈良郊外の高畠幸村(たかはたさいわいむら)の幸徳井という井戸のある地に居宅を構えて、興福寺大乗院門跡の尋尊に仕えた。友幸は尋尊の元で陰陽道や暦道を掌ったのみならず、政治顧問的な役目を果たしていたという。また、その居住地より「幸徳井」の家名を号した。
官歴
編集『地下家伝』による。
系譜
編集『系図纂要』による。
参考文献
編集- 正宗敦夫編『地下家伝』日本古典全集刊行会、1938年