平王(へいおう)は、周朝の第13代王。平王の時代より周は東周と称されるようになる。子は太子洩父、王子狐、王子烈[2]ら。

平王
第13代王
王朝
在位期間 前771年 - 前720年4月16日[1]
都城 王城(洛邑)
姓・諱 姫宜臼
生年 不詳
没年 前720年4月16日
幽王
申后

宜臼は元来幽王の太子であったが、褒姒が後宮に入り寵愛を受け、伯服(伯盤)を儲けると、廃太子され、宜臼は申へ逃れた。母であり同じく廃后された申后の父である申侯はこれに怒り、幽王が悪戯で烽火を用い諸侯を集め、それにより諸侯の信頼を失っていた機に乗じ、西方の犬戎と協力して幽王を攻撃した。前771年、幽王と伯服は驪山において殺害され、褒姒も犬戎により連れ去られ、ここに西周は滅亡した。

父幽王が非業の死を遂げた後は、廃太子されていた宜臼は外祖父の申侯、繒侯、許の文公、従父の武公などの諸侯によって、申にて即位させられた。しかし、都城である鎬京は戦乱で荒廃していたため、紀元前770年洛邑(現在の洛陽)の王城に遷都し、東周が始まった。以後も鎬京には叔父である携王一派が存在しており、前759年にこれを倒し、東西分裂していた周を統一した。

平王は51年の在位の後に崩御した。太子洩父は夭折しており、太子の子である林が王太孫となり、祖父の後を継いで王位を継承した(桓王)。

脚注

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  1. ^ 左丘明 (中国語). 《春秋左氏傳‧隱公三年》. "三年,春,王三月,壬戌,平王崩,赴以庚戌,故書之。" 
  2. ^ 春秋左氏伝』より。汝南周氏中国語版の祖とされる。