平松俊太郎
平松 俊太郎(ひらまつ としたろう、1882年(明治15年)4月29日[1] - 1967年(昭和42年)7月24日[1])は、岡山県川上郡備中町(現・高梁市)出身の地方政治家。倉敷市長、津山市長。
平松俊太郎 ひらまつ としたろう | |
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津山市長在任中に撮影された肖像 | |
生年月日 | 1882年4月29日 |
出生地 | 岡山県高梁市 |
没年月日 | 1967年7月24日(85歳没) |
出身校 | 岡山県師範学校 |
2代 岡山県倉敷市長 | |
在任期間 | 1929年7月27日 - 1937年7月27日 |
7代 岡山県津山市長 | |
在任期間 | 1943年2月9日 - 1946年10月30日 |
その他の職歴 | |
岡山県議会議員 (不明 - 不明) |
来歴
編集1882年、川上郡備中町で生まれる。学校は、岡山県師範学校へ進学した。
1943年から1946年まで、津山市長を務めた[2][3]。戦後、公職追放となった[4]。その後岡山県議会議員を務めた[2]。
1967年7月24日死去。享年85。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 吉岡三平 監修 『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。
関連項目
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