平州(へいしゅう)は、中国にかつて存在した。現在の遼寧省一帯に設置された。

先秦〜漢代

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周代には幽州界とし、代は右北平郡に属した。

後漢末に公孫度が平州を号し、公孫三代にわたり東夷九種を服属させた。

魏晋南北朝時代

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東夷校尉を設置、襄平県を派遣し、遼東郡昌黎郡玄菟郡帯方郡楽浪郡の五郡を幽州から分離し平州を設置したが、その後幽州に再統合されている。

274年泰始10年)2月、西晋は昌黎郡・遼東郡・玄菟郡・帯方郡・楽浪郡等の五郡国を分離し再度平州を設置、26県、18100戸を統括した。西晋の管轄県に関しては下表を参照。

その後は高句麗の勢力伸張にともない、遼東郡以外の地域は失陥し、残った遼東郡も慕容部の統治下に置かれた。北魏により営州と改称された。

西晋の平州
昌黎郡 遼東郡 楽浪郡 玄菟郡 帯方郡
戸数 900 5400 3700 3200 4900
昌黎県
賓徒県
襄平県 汶県
居就県 楽就県
安市県 西安平県
新昌県 力城県
朝鮮県 屯有県
渾弥県 遂城県
鏤方県 駟望県
高顕県 望平県
高句麗県
帯方県 列口県
南新県 長岑県
提奚県 含資県
海冥県

おもな平州刺史・牧

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北魏以降

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北魏以降の平州については平州 (河北省)を参照されたい。

関連項目

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参考資料

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  • 晋書』(武帝紀、地理志上)
  • 新唐書』(地理志三)