市川海老蔵 (8代目)
幕末から明治初期の歌舞伎役者
八代目 市川 海老蔵(いちかわ えびぞう、弘化2年(1845年) - 明治19年(1886年)11月12日)は幕末から明治初期の歌舞伎役者。本名は堀越 壽(ほりこし ひさし)。屋号は成田屋。俳名に壽升(じゅしょう)がある。
八代目 | |
『八陣守護城』の大内義弘 | |
屋号 | 成田屋 |
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定紋 | 三升 |
生年月日 | 1845年 |
没年月日 | 1886年11月12日 |
本名 | 堀越壽 |
襲名歴 | 1. 市川あかん平 2. 四代目市川新之助 3. 市川壽蔵 4. 二代目市川猿蔵 5. 八代目市川海老蔵 |
俳名 | 壽升 |
出身地 | 大坂 |
父 | 七代目市川團十郎 |
兄弟 | 八代目市川團十郎 九代目市川團十郎 七代目市川海老蔵 二代目市川猿蔵 市川幸蔵 |
弘化2年(1845年)に七代目市川團十郎の七男として大坂に生まれる。初名を市川あかん平、一旦父と共に江戸に戻り安政4年(1857年)に市川寿蔵、文久3年(1863)に四代目市川新之助と改名、明治3年(1870)二代目市川猿蔵と改名。明治3年頃に再び関西に出向くが明治14年(1881年)に八代目市川海老蔵を襲名するために上京、明治15年6月に襲名するが、42歳で死去。[1]墓所は青山霊園。
注
編集- ^ 『歌舞伎俳優名跡便覧』第三次修訂版