川西清兵衛
日本の実業家
川西 清兵衛(かわにし せいべえ、旧字体:川西淸兵衞、1865年9月7日(慶応元年7月18日) - 1947年(昭和22年)11月19日)は、日本の実業家。阪神財閥系譜川西財閥の創業者。
人物
編集1865年(慶応元年)大阪で生まれる。1896年(明治29年)神戸の実業家27人を発起人として日本毛織を創立。1899年(明治32年)加古川沿岸に工場を建設して毛布製造をはじめる。戦時景気で軍用毛布等の売上が伸び巨利を得た。1907年(明治40年)兵庫電気軌道(山陽電気鉄道の前身)を創業し、神戸と明石、姫路を結ぶ電気鉄道を開業。1913年(大正2年)日本毛糸紡績会社を設立、1918年(大正7年)日本毛織と合併。昭和毛糸紡績、共立モスリン、山陽皮革、神戸生糸など多数の関連企業を設立し、川西財閥を形成した。
一方で航空関連事業にも魅せられ、1917年(大正6年)、中島知久平が興した『飛行機研究所』(中島飛行機の前身)に出資。しかし金銭上のトラブルから出資を引き上げ、1920年(大正9年)に自前メーカーを目指して川西機械製作所を創業した。また、1923年(大正12年)国内で3番目の商業航空事業会社である「日本航空株式会社」[1](JALとは無関係)を設立する。川西機械飛行機部は後に川西航空機(現・新明和工業)として独立した。
→詳細は「川西航空機 § 歴史」、および「中島飛行機 § 沿革」を参照
栄典
編集親族
編集- 次男:川西龍三