島田豊寛
島田 豊寛(しまだ とよひろ、1828年1月24日(文政10年12月8日[1])- 1902年(明治35年)5月2日[1])は、明治時代の政治家。新聞経営者。初代横浜区長。
島田豊寛 しまだ とよひろ | |
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生年月日 | 1828年1月24日 |
出生地 | 日本 江戸(現東京都) |
没年月日 | 1902年5月2日(74歳没) |
前職 | 横浜毎日新聞社長 |
子女 | 養子・島田三郎(衆議院議員) |
在任期間 | 1881年 - 1888年 |
経歴
編集島田源平の子として江戸に生まれる[1]。1870年(明治3年)神奈川県令の井関盛艮の発案により日本最初の日刊新聞『横浜毎日新聞』が創刊すると初代社長に就任した[1]。戸長を経て[2]、1878年(明治11年)第一大区副区長心得、翌年横浜区長代理を経て、1881年(明治14年)から1888年(明治21年)まで神奈川県会議員を務めた[1]。
親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 神奈川県県民部県史編集室 1983, 374頁.
- ^ 「12月14日 銃器取扱人 銃砲売買御願レミントン元込銃100挺弾薬2万発」 アジア歴史資料センター Ref.C09121532600 、明治7年12月14日。
参考文献
編集- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。