岩倉 巻次(いわくら まきじ、1894年1月15日 - 1970年5月5日)は、日本実業家イワクラ創業者。孫に苫小牧市長の岩倉博文がいる。

来歴

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北海道倶知安町出身。1906年に倶知安尋常小学校を卒業した。1913年大正2年)、造材薪炭業を開業する。当時の拠点は白老村(現・白老町)であった[1]

1928年に一時的に王子製紙山林部に所属。

1932年昭和7年)に車両部を設け、木材運搬業を併業。1932年に業務拡張により本店を苫小牧市に移設する[1]、1937年に長野県の林道工事を受注し竣工させた。

1941年(昭和16年)新冠村(現・新冠町)の国有林特売権を得たのを機に、地元の製材会社を買収し、製材事業を開始した[2]

1948年(昭和23年)に株式会社岩倉組となり社長に就任した。1949年に建築部を設置する一方、1950年には土建部を分離した。以降はホモゲン工場を日本各地に建設、東京都名古屋市に支店を置き、大阪市浜松市にも出張所を設置するなど業務を拡張した。

1959年(昭和34年)5月に土建部を分離独立し、岩倉組土建株式会社(現・岩倉建設)を設立した[3]1968年(昭和43年)岩倉海陸運輸を設立する[4]。同年、岩倉組会長となる。

公職として、北海道木材協会副会長。1948年苫小牧商工会議所初代会頭。没後は苫小牧市名誉市民に選ばれた[5]

脚注

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  1. ^ a b 会社概要”. イワクラ. 2024年5月16日閲覧。
  2. ^ 『岩倉組土建二十五年史』岩倉組土建、1985年、47頁。 
  3. ^ 会社情報”. 岩倉建設. 2024年5月16日閲覧。
  4. ^ 沿革”. 岩倉海陸運輸. 2024年5月16日閲覧。
  5. ^ 髙木正雄(編)『北海道建設人物事典』北海道建設新聞社、2008年、p.64

外部リンク

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