岡野俊昭
日本の政治家・教育者 (1946-2023)
岡野 俊昭(おかの としあき、1946年[1](昭和21年)3月21日[2] - 2023年(令和5年)12月22日[3])は、日本の政治家。教育者。元千葉県銚子市長(1期)、元・新しい歴史教科書をつくる会副会長。
略歴
編集千葉県銚子市生まれ[1]。日本体育大学体育学部卒業[1]。銚子市内の中学校の教諭、教頭、校長を務め、校長時代は挨拶、清掃、ランニングなどを生徒に行い、学校立て直しの成果を挙げた[1]。日本体操協会強化コーチ、スペイン・バルセロナ日本人学校校長、北米・欧州地区日本人学校長研究協議会会長を歴任した。
2006年、銚子市長選挙に立候補して、現職の野平匡邦を破って当選した[4]。選挙の公約に「市立総合病院の存続」を挙げながら休止したため、市民から解職請求運動が起こり、2009年に住民投票の結果、解職が成立し、市長を失職した。解職後の市長選挙には前市長の野平匡邦ら6人が立候補する選挙戦となったが、前市長の野平に大差で敗れた[5]。
2010年の参議院議員選挙に日本創新党から比例区で立候補したが、落選した[6]。
新しい歴史教科書をつくる会の副会長を務めていた[1]。
2023年12月22日、食道がんにより死去[7]。77歳没。死没日付をもって正六位に叙され、瑞宝双光章を追贈された[8]。
脚注
編集- ^ a b c d e 役員構成|新しい歴史教科書をつくる会
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、125頁。
- ^ “副会長・岡野俊昭さんご逝去” (PDF). 新しい歴史教科書をつくる会. 2023年12月25日閲覧。
- ^ 銚子市長選挙-2006年07月23日投票|千葉県銚子市|選挙ドットコム
- ^ 銚子市長選挙-2009年05月17日投票|千葉県銚子市|選挙ドットコム
- ^ 「朝日新聞」2010年7月12日夕刊5面。
- ^ “元千葉県銚子市長の岡野俊昭氏死去”. 産経新聞 (2023年12月25日). 2023年12月25日閲覧。
- ^ 『官報』第1150号8頁 令和6年1月29日