岡慎之助
岡 慎之助(おか しんのすけ、2003年〈平成15年〉10月31日 - )は、日本の体操競技選手。
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2024年パリオリンピック 平行棒表彰式で | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 2003年10月31日(21歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 岡山県岡山市南区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 155 cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 54kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 男子体操競技 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表 | 2024年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 徳洲会体操クラブ(2019年5月 - ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学歴 | 曽根小学校[1]→興除中学校[1]→関西高校(中退)→星槎国際高校横浜→星槎大学[2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コーチ | 米田功 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2019年に、15歳で世界ジュニア体操競技選手権で団体総合と個人総合で金メダルを獲得。2024年にはパリオリンピックに日本代表として出場し、団体総合と個人総合と鉄棒で金メダルを獲得し、平行棒で銅メダルを獲得した。
経歴
編集父親が読売ジャイアンツの阿部慎之助監督のファンであり、「スーパースターになってほしい」との理由で「慎之助」と名付けられた[3][4]。
保育園児のころから逆上がりができ[5]、4歳のころに、2004年アテネオリンピックで、後にコーチとなる米田功ら日本代表が男子団体金メダルを獲得した映像を見たことをきっかけに[6]、周囲からの勧めもあり、「おかやまジュニア体操スクール」に入り[7]、体操を始める。
早くから才覚を示し、中学生のころには高校生と一緒に練習をしており[7]、中学3年生のときに全国中学校体操競技選手権大会において、個人総合と鉄棒で1位、ゆかで2位の結果を残した[8]。
2019年、中学卒業後に一度は地元の強豪の関西高等学校に進学するも、競技に集中するために中退し、通信制高校である星槎国際高等学校に転校し、極めて異例ながら、社会人の強豪チームである徳洲会体操クラブに入部し、同年5月に、練習場の都合のために、神奈川県 鎌倉市に転居した[9]。翌6月に、ハンガリーのジェールで開催された第1回世界ジュニア体操競技選手権(2019年世界ジュニア体操競技選手権)に出場し、団体総合と個人総合で金メダルを[10][11]、種目別では、あん馬で銀メダルを、平行棒で銅メダルを獲得した[11]。
2020年10月下旬に開催された全日本高等学校体操競技選抜鯖江大会では、個人総合3位、種目別ではあん馬3位、ゆか2位の結果を残した[12]。2020年東京オリンピックの代表選考も兼ねた2021年4月の全日本選手権では、手首の痛みによる影響で予選敗退となり、東京オリンピックへの出場は叶わなかった[7][13]。同年8月に行われた全国高等学校総合体育大会(北信越総体2021)では、個人総合3位、種目別ではあん馬3位、平行棒3位の結果を残した[14]。
2022年の全日本選手権で、予選を3位で通過するも[15]、4種目の跳馬の着地に失敗し、右足の前十字靭帯を断裂、全治8か月の大けがを負い、手術を受けた[16]。一時はオリンピック出場も危ぶまれる状態だったが、手術からわずか2か月後には練習を再開した[17]。けがの影響で跳躍系の練習ができなかったため、苦手だったつり輪を克服するため練習し、強化した[17][18]。
2023年には、シンガポールで開催されたアジア体操競技選手権で、団体2位[19]、個人総合1位[20]、種目別では平行棒と鉄棒で2位[21][22]の結果を残した。2024年4月に行われた全日本選手権で、個人総合2位、種目別では平行棒2位、ゆか3位の結果を残した[23]。同年5月に行われたNHK杯で、個人総合で初優勝し、全日本選手権での得点と合算して、同年7月に開催されるパリオリンピックに日本代表として出場することが内定した[17]。
2024年8月に開催された2024年パリオリンピックでは、橋本大輝・萱和磨・杉野正尭・谷川航とともに男子団体総合で金メダルを獲得し、個人総合と鉄棒でも金メダルを獲得した[注釈 1][25][26][27][28]。さらに平行棒でも銅メダルを獲得した[29]。日本選手による平行棒のメダルは、2004年アテネ五輪・冨田洋之の銀メダル以来、20年ぶりとなった[30]。1大会3個の金メダルは1972年ミュンヘンオリンピックの加藤澤男以来52年ぶり、1大会4個のメダルは1984年ロサンゼルスオリンピックの具志堅幸司の5個(金2、銀1、銅2)以来40年ぶりの快挙となった[31]。また平行棒の銅メダル獲得で日本のメダル数としては夏冬合わせて通算600個目[30]。
受賞・受章歴
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “岡慎之助選手 パリ五輪で活躍を 地元岡山の有志が応援旗や観戦会”. https://www.sanyonews.jp/. 山陽新聞digital (2024年7月23日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “岡 慎之助|体操/体操競技|パリ2024”. 日本オリンピック委員会 (2024年). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “岡慎之助 初優勝で五輪出場決定 右膝前十字靱帯完全断裂の大けがも克服「耐えてきてよかった」”. デイリー (2024年5月20日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “【巨人】阿部監督がパリ五輪体操3冠の岡慎之助と対面 名前の由来にも”. 日刊スポーツ (2924年8月25日). 2024年8月31日閲覧。
- ^ “まるで「フェラーリ」 体操・岡慎之助 アテネ金メダリストが太鼓判”. 毎日新聞 (2024年5月13日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “体操・パリ五輪代表内定の岡慎之助選手(岡山市出身) 中学時代に目標語る「五輪に出て着地をビシッと決めたい」”. KSB (2024年5月20日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ a b c Risa Bellino (2024年7月27日). “体操・岡慎之助、世界ジュニア王者が大怪我から復活、パリ2024「自分の演技で日本の強さを証明したい」”. Paris 2024 Olympics. 2024年7月28日閲覧。
- ^ “平成30年度 第49回 全国中学校体操競技選手権大会”. 日本体操協会 (2018年5月23日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “体操アジアジュニア銅の15歳、岡が徳洲会入り”. 産経ニュース (2019年5月15日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “1st FIG Artistic Gymnastics Junior World Championships Gyor (HUN), 27 June - 30 June 2019 Men's Team Final”. USAGymnastics. 2024年7月28日閲覧。
- ^ a b “1st FIG Artistic Gymnastics Junior World Championships Gyor (HUN), 27 June - 30 June 2019 Men's All-Around Final”. USAGymnastics. 2024年7月28日閲覧。
- ^ “2020全日本高等学校体操競技選抜鯖江大会” (2020年7月11日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “岡慎之助、右膝大けが乗り越え「一つでも多くの金メダル」初五輪で飛躍へ「自分の名前を世界で覚えて欲しい」”. スポーツ報知 (2024年6月15日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “令和3年度全国高等学校総合体育大会 体操競技大会記録報告書”. 全国高等学校体育連盟 (2021年). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “第76回全日本体操個人総合選手権 男子 予選 個人総合結果”. 日本体操協会 (2022年4月23日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “岡山出身 体操・岡慎之助選手がパリ五輪代表内定”. NHK 岡山 NEWS WEB (2024年5月20日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ a b c “体操 パリ五輪代表 岡慎之助 萱和磨など内定 橋本含む5人で”. NHK (2024年5月19日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “大けが乗り越えた20歳の岡慎之助、初の五輪切符…あん馬落下も鉄棒着地ピタリ”. 読売新聞オンライン (2024年5月20日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “MAG Snr Team - Final - Signed.pdf” (英語). SINGAPORE GYMNASTICS (2023年6月15日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “MAG Snr IAA Finals - Signed.pdf” (英語). SINGAPORE GYMNASTICS (2023年6月16日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “MAG Snr Parallel Bars - Final - Signed.pdf” (英語). SINGAPORE GYMNASTICS (2023年6月18日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “MAG Snr High Bar - Final - Signed.pdf” (英語). SINGAPORE GYMNASTICS (2023年6月18日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “第78回全日本体操個人総合選手権 男子 決勝 個人総合結果(CⅠ+CⅡ)”. 日本体操協会 (2024年4月14日). 2024年7月28日閲覧。
- ^ “ノーミスの岡慎之助が新王座、橋本大輝との「二枚看板」に…「体操ニッポン」黄金期復活の兆し”. 読売新聞オンライン (2024年8月1日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ “メダル・入賞者一覧|パリ2024|JOC - 日本オリンピック委員会”. 日本オリンピック委員会 (2024年). 2024年8月1日閲覧。
- ^ “オリンピック 日程&結果 体操競技 - 男子団体 | パリ 2024”. IOC (2024年). 2024年8月1日閲覧。
- ^ “オリンピック 日程&結果 体操競技 - 男子個人総合 | パリ 2024”. IOC (2024年). 2024年8月1日閲覧。
- ^ “20歳の岡慎之助が鉄棒も金メダル、今大会3個目…2位と同スコアも出来栄え点で上回る”. (2024年8月5日) 2024年8月5日閲覧。
- ^ “体操 男子種目別 平行棒 岡慎之助が銅メダル パリ五輪”. (2024年8月5日) 2024年8月5日閲覧。
- ^ a b “岡慎之助、平行棒で銅メダル!日本勢の夏冬五輪通算600個目 「日本の宝」が今大会3個目(スポーツ報知)”. Yahoo!ニュース. 2024年8月6日閲覧。
- ^ “【パリ五輪】 体操の岡慎之助が鉄棒で金メダル、3冠達成 平行棒でも銅”. BBCニュース (2024年8月6日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ 「【体操】五輪3冠 岡慎之助らに鎌倉市民栄誉賞「毎日同じことを3、4時間。それが今回の結果に」」『スポニチ』2024年8月22日。2024年11月4日閲覧。
- ^ 「体操「金メダル」岡慎之助選手に「岡山県県民栄誉賞」一目見ようと約500人の県民が集結」『TBS NEWS DIG』RSK山陽放送、2024年8月26日。2024年11月4日閲覧。
- ^ “秋の褒章786人・26団体 デザイナーの原研哉さんら”. 日本経済新聞 (2024年11月2日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ 『官報』号外259号、令和6年11月5日
- ^ 『「2024 第37回小学館DIMEトレンド大賞」は「新NISA」!ベストキャラクター賞「Aぇ! group」&「ぱーてぃーちゃん」、話題の人物賞「岡慎之助さん」も登場!』(プレスリリース)株式会社小学館、2024年12月11日 。2024年12月11日閲覧。
外部リンク
編集- 岡慎之助 - オリンピックチャンネル
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