岡光龍三
岡光 龍三[2](岡光竜三[1]、おかみつ りゅうぞう、1940年 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(FW)・指導者。
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名前 | ||||||
カタカナ | オカミツ リュウゾウ | |||||
ラテン文字 | OKAMITSU Ryuzo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1940年 | |||||
出身地 | 広島県広島市 | |||||
身長 | 167cm[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW[1] | |||||
ユース | ||||||
広島市立千田小学校 | ||||||
広島山陽高等学校 | ||||||
中央大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1963-1970 | 東洋工業 | 70 | (29) | |||
監督歴 | ||||||
1970-? | 東洋工業コーチ | |||||
?-? | 広島城北高校サッカー部コーチ | |||||
2001 | 広島経済大学サッカー部コーチ | |||||
2002-2003 | 広島経済大学サッカー部監督 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集広島市立千田小学校時代の同級に宮本輝紀、一学年上に大石信幸がいる。
高校は宮本や大石とともに広島山陽高等学校に進学し[1]、渡部英麿から指導を受ける。1957年、1958年国体準優勝に貢献。特に1958年大会決勝は杉山隆一がいた静岡県立清水東高等学校との対戦で、当時話題となった[3]。
大学は中央大学に進学した[1]。サッカー部に在籍し、同郷の野村六彦・小城得達・桑原楽之らと活躍した[4]。第42回天皇杯全日本サッカー選手権大会で決勝進出、決勝の相手は長沼健・平木隆三・川淵三郎・宮本征勝・鎌田光夫・保坂司と日本代表を揃え三連覇を狙った古河電工で、岡光は決勝点を決め中大優勝に貢献した[4][5]。
1963年大学卒業後、地元東洋工業(現マツダ)へ入社[6]。東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に入団する。小城、桑原楽、石井義信、今西和男、丹羽洋介らと共に、日本リーグ(JSL)優勝4回、天皇杯優勝3回に貢献。その中で岡光は主に右ウイングとして活躍、小城の繰り出すロングパスに左ウイングの松本育夫、二列目から飛び出す桑田隆幸、センターフォワードの桑原楽と攻撃をリードした[7]。日本リーグ初年度の1965年、東洋工業は全14試合で44得点を挙げているが、すべて攻撃プレイヤーで、岡光は桑田(11得点)に次ぐ9得点を挙げた(小城9、松本8、桑原楽7)。アシストでも記録を残しており、1967年のJSLでは7アシストでランキング3位、1968年のJSLでは5アシストでランキング2位に入っている。
1971年に丹羽・桑原弘之とともに引退[6] し、その後は桑原とともに東洋工業コーチ。 その後、広島城北高校サッカー部コーチ[8] などを務めた。
2001年4月から広島経済大学コーチに、翌2002年から監督に就任したものの、2003年末に健康上の理由により退任した[2]。ちなみに次の広経大監督は東洋工業時代のチームメイトである桑田が就任している[9]。
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | - | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1965 | 東洋 | JSL | 14 | 9 | - | ||||||
1966 | 14 | 8 | - | ||||||||
1967 | 14 | - | |||||||||
1968 | 14 | - | |||||||||
1969 | 14 | - | |||||||||
1970 | 0 | 0 | - | ||||||||
通算 | 日本 | JSL | 70 | 29 | - | ||||||
総通算 | 70 | 29 | - |
脚注
編集- ^ a b c d e 『サッカーマガジン』1967年5月1日号
- ^ a b “岡光龍三監督(63)が健康上の問題を理由に今季限りで監督を退かれました。”. 広島経済大学サッカー部 (2004年1月15日). 2012年9月8日閲覧。
- ^ “世界を驚かせた日本サッカー・俊足の攻撃リーダー杉山隆一”. 賀川サッカーライブラリ. 2012年9月25日閲覧。
- ^ a b “中央大学の優勝時の記録”. 中央大学体育連盟応援サイト. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “大会の歴史”. NHK. 2012年9月8日閲覧。
- ^ a b “2002年度 選手・スタッフの紹介”. 広島経済大学サッカー部. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “攻守兼備のMF 努力の人 小城得達(下)”. 賀川サッカーライブラリ. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “恩師”. 広島城北高校サッカー部. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “K・OB.net No.8” (PDF). 広島経済大学サッカー部 (2004年6月14日). 2012年9月8日閲覧。
関連項目
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