田口年信
明治時代の浮世絵師
(山崎年信 (2代目)から転送)
来歴
編集月岡芳年、森寛斎、深田直城、川端玉章の門人。本姓は白井、名は勝沅。俗称信次郎。はじめ修斎、鮮中舎、国梅、芳年の門人になってからは年信と称す。丹波国亀岡藩士白井勝承の子として生まれ、後に田口家の養子になる。作画期は明治16年(1883年)から没年にかけてで、明治23年(1890年)には大阪に行き、新聞の挿絵や講談本の口絵を描く。明治31年(1898年)東京に戻り、玉章に学んで日本画の通信教授をしている。享年38。
作品
編集- 「新富座大評判 芸妓踊之図」 大判錦絵3枚続 国立劇場所蔵 ※明治16年、「鮮中舎国梅」の落款
- 「燗酒売富蔵・尾上菊五郎 藤岡藤十郎・市川九蔵」(千代田城噂白浪) 縦大判錦絵2枚続 国立劇場所蔵 ※明治18年11月、東京千歳座『四千両小判梅葉』より。「修斎国梅」の落款