山口孫一
日本の銀行家
山口 孫一(やまぐち まごかず[1][2]、1908年(明治41年)4月27日 - 1970年(昭和45年)10月31日[3])は、日本の銀行家。紀陽銀行頭取[4]、大阪植木社長[5]、大日本除虫菊取締役[4]、白浜温泉ホテル監査役[6]を務めた。父は紀伊貯蓄銀行頭取を務めた山口孫七。
経歴・人物
編集和歌山県海草郡山口村(現・和歌山市)出身。山口孫七の長男[5]。1931年、東京農業大学農学部卒業[4]。大日本除虫菊監査役・取締役・専務を経て、1949年紀陽銀行取締役、1952年常務、1955年頭取[4]。
家族・親族
編集- 山口家
- 父・孫七(1885年 - ?、酒造業、銀行頭取、会社重役、和歌山県多額納税者[6])
- 母・シゲ(1887年 - ?、和歌山、上山市郎兵衛の二女)[6]
- 姉・昌子(1907年 - ?、和歌山、上山英一郎の三男英夫の妻)[6]
- 妻・弥生(1914年 - ?、和歌山、宮本春吉の四女)[5][6]
- 弟・孝(1910年 - ?、大阪化成社長)[4]
- 親戚
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年8月10日。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。