尾上町 (加古川市)
尾上町(おのえちょう)は兵庫県加古川市南西部にある地名、本項ではその前身である加古郡尾上村(おのえむら)についても記す。
尾上町 おのえ | |
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国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
自治体 | 加古川市 |
旧自治体 | 尾上村 |
面積 |
6.33km² |
世帯数 |
11,347世帯 |
総人口 |
28,952人 (推計人口、2013年1月1日現在) |
人口密度 |
4,573.78人/km² |
隣接地区 | 加古川町・野口町・高砂市・別府町 |
加古川市役所尾上市民センター | |
北緯34度44分40.29秒 東経134度49分25.89秒 / 北緯34.7445250度 東経134.8238583度座標: 北緯34度44分40.29秒 東経134度49分25.89秒 / 北緯34.7445250度 東経134.8238583度 | |
所在地 |
〒675-0024 兵庫県加古川市尾上町長田419-1 |
概要
編集2006年現在では尾上町旭1-3丁目・尾上町池田・尾上町今福・尾上町口里・尾上町長田・尾上町安田・尾上町養田・尾上町養田1-3丁目よりなる。
隣の別府町と合わせて浜手地区と呼称することがある。
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尾上町の住宅地帯
尾上町長田で撮影 -
尾上町の農業地帯
尾上町養田3丁目で撮影
地理
編集加古川左岸の河口部にある。地域の東部には別府川が流れる。南側は神戸製鋼所加古川製鉄所であり、煤煙被害が起きているという[1][リンク切れ]。東部のかなり広い範囲を浜の宮公園が占める。
歴史
編集おのえむら 尾上村 | |
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廃止日 | 1950年6月15日 |
廃止理由 |
新設合併 加古川町、神野村、野口村、平岡村、尾上村 → 加古川市 |
現在の自治体 | 加古川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 加古郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.33 km2 |
総人口 |
6,101人 (臨時国勢調査、1947年) |
隣接自治体 | 加古川町、高砂町、別府町、野口村 |
尾上村役場 | |
所在地 | 兵庫県加古郡尾上村 |
座標 | 北緯34度44分40.0秒 東経134度49分25.8秒 / 北緯34.744444度 東経134.823833度 |
特記事項 | 面積は推定[1]。 |
ウィキプロジェクト |
- 1889年: 町村制施行により、長田村、口里村、池田村、安田村、今福村、養田村が合併して加古郡尾上村が発足。
- 1913年: 播州鉄道(のちの国鉄高砂線)が開通し当地を通る。
- 1923年: 当地を通る神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)が開通し、浜の宮駅と尾上の松駅が同時に開業。
- 1937年から1938年ごろに、加古川飛行場という日本軍の飛行場が建設されている。村域の4分の1を占める規模だったらしい。その他軍の施設がいくつか建設される。
- 1950年: 加古川町・神野村・野口村・平岡村と合併して加古川市が発足。加古川市尾上町となる。
- 1956年: オーミケンシの工場が開業。
- 1984年: 高砂線廃止。
現況
編集加古川市中心部に隣接する住宅地が中心であるが、神戸製鋼の工場に隣接する工業地でもあり(特にオーミケンシの工場は規模が大きい)、国道250号沿いにはロードサイド店が見られるほか、水田も散見される。非常に機能の多い地区といえる。
教育
編集尾上町には小学校が三校あるが、中学校は町内にない。1947年4月、 尾上村立尾上中学校が創設されたが、同年6月加古郡学校組合立浜の宮中学校(現加古川市立浜の宮中学校)が創立され、別府町立別府中学校とともに浜の宮中学校の分校となった。同年10月に両分校は統合し、現在地に移転した。そのため、尾上町の中学生は、別府町にある加古川市立浜の宮中学校に通学することとなった[2]。
小学校
編集交通
編集山陽電気鉄道本線の浜の宮駅と尾上の松駅があるが、加古川市中心部には鉄道を用いて直接行くことができない(明石駅まで行って乗り換えることになる)。かつて国鉄高砂線があり、尾上駅から加古川市中心部へ行くことができたが、1984年に廃止された。加古川市中心部と高砂市の交通に神姫バスの方が便利だったのが一因という(尾上町はこの二つの中間に位置する)。現在[いつ?]、尾上町で高砂線の遺構が見られる。
路線バスは比較的充実しており、加古川市コミュニティバスであるかこバスは浜手・別府・尾上の3ルートが運行される。
祭り・観光スポットなど
編集祭り
編集- 浜手地区で行うふるさと祭りや、浜の宮神社の祭り、もちまき、加古川市立浜の宮小学校地域交流フェスティバルなどがある。
出身有名人
編集脚注
編集- ^ 1989年(平成元年)に計測方法が変更されたため、当時の国勢調査では違う値が載っていたものと思われるが、合併後に周りの地区との境界線変更や埋め立てによる面積増加等が1回もないため、少なくとも合併直前の段階では今の計測方法で6.33平方キロであったと思われる。
- ^ “加古川市立浜の宮中学校沿革” (PDF). 加古川市 (2019年5月22日). 2019年10月25日閲覧。