尼崎競艇場
尼崎競艇場(あまがさききょうていじょう)は、兵庫県尼崎市にある競艇場である[1][2][3][4]。
尼崎競艇場 | |
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正面(2008年7月) | |
施設 | |
所在地 | 兵庫県尼崎市水明町199-1[1][2][3][4] |
座標 | 北緯34度43分10.3秒 東経135度23分38.4秒 / 北緯34.719528度 東経135.394000度座標: 北緯34度43分10.3秒 東経135度23分38.4秒 / 北緯34.719528度 東経135.394000度 |
施行者 | 尼崎市・伊丹市 |
コース | |
水面 | 人工(プール[2][3]) |
水質 | 淡水[2][3] |
モーター | 出力低減 (ヤマト331型) |
外向発売所 | |
外向発売所 | センプルピア |
場外発売場 | |
場外発売場 |
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実況 | |
担当 | 千葉誠一・榑谷篤史・明智洋平 |
所属 | メディアターナー |
通称はBOAT RACE尼崎(ボートレースあまがさき)[† 1]。
概要
編集かつてこの一帯は湿地帯であり、夏季は蚊が大量発生するなど衛生面で大きな問題となっていた。戦後、この土地を埋め立てる計画が出たところ、競艇の開催地を探していた日本船舶振興会と戦後の復興資金確保に躍起だった尼崎市との間で、競艇場への活用が決められた[5]。掘削し競艇場プールを建設した後、その土を周辺の埋め立てに利用した[6]。1952年(昭和27年)3月に開設認可を得て、同年5月に起工、同年8月末に竣工し、同年9月14日に開業した[7]。
1952年の開設以降、都心に近く駅前という立地条件の良さもあって全国でも有数の売り上げを誇る競艇場であったが、近年はナイターやミッドナイトのレースを行う他の競艇場に押され、長らく続いてきた2号賞金場の地位を明け渡し、2008年度からは1号賞金となっている[† 2]。尼崎競艇場の周辺は多くが住宅街であるため、騒音問題も絡むため夜間帯の開催は難しい状況にあり、現在に至るまで開催は日中のみとなっている。
従来は場所が近い住之江競艇場とは開催が被らないよう調整され日程が組まれていたが、2016年に住之江が通年ナイター開催となってからは、同日開催も増えている[† 3]。
比較的後期まで標準型モーターが使用されていたが、2010年(平成22年)5月4日初日の開催より、大型吸気サイレンサー付きの減音型モーターを採用した[8]。 水面北側に観客スタンドがあり、南側には阪神電車の高架が通る。尼崎センタープール前駅から正面入口を通ると、正面に新スタンド(単に「スタンド」とも呼ばれる)が見える。
ほかに、1マーク側(西門近く)には11号館(エキサイティングルーム)がある。スタンドからピットの様子を見ることのできる唯一の競艇場。
2013年(平成25年)9月25日、水面と駅との間のスペースに外向発売所「センプルピア」がオープン。現在、他場開催の場外舟券発売はこの「センプルピア」で行われているが、例外的にグランプリのみ本場で行われている。
入場料は、大人100円。改札口に直接100円硬貨を投入するとゲートが開くようになっている。ただし、第10レースの出走直前である15時を過ぎると無料開放されるため、それ以降は無料で入場できる。
実況は以前、メディアターナー社長の内田和男や小林習之、梶西達が担当していたが、現在は千葉誠一がメイン実況を担当している。
締め切り前のBGMはシューベルトの『野ばら』。分を追うごとに曲のテンポも速くなっていき、ブザーが鳴ると発売締め切りとなる。
マスコットキャラクターは、主役で緑のアマガエル「センプル」(名前は尼崎センタープールが由来)、ピンクの女の子カエル「ピンクル」(名前はピン=1着が来るが由来)、目つきが鋭い青のカエル「ぶるたん」(名前はセンターの強い当地においての4号艇=ブルーが由来)の3匹である。かつては専属アイドルユニット「Amagami Six」(2013年 - 2016年)が存在し、益田あゆみなどが在籍していた。
コース概要
編集もともと湿地帯であった場所を土地改良を行うために作られた人工池(プール[2][3])であるため[5]、水質は淡水[2][3]。癖が少ないと言われ、広いコースはカマシを得意とする選手に好まれている。静水面の為、イン逃げが決まりやすいと評価する一方で、イン逃げが中々決まらず、コース不問の多彩な決まり手が出やすいと評価する者も少なからず居る。フライング警報装置であるSKS(スタートタイミング感知システム)が1995年(平成7年)6月29日より使われていたが、2006年(平成18年)4月1日をもって廃止された。
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観客席 -
水面 -
発走ピット -
展示用ピット -
電光掲示板
主要開催競走
編集企業杯(GIII)としてFM OSAKA杯が行なわれている。 新鋭リーグ戦の名称はプリンスロード、女子リーグ戦の名称はクイーンロードである。ゴールデンウィークには六甲賞競走、お盆にはオール兵庫王座決定戦がそれぞれ開催されている。
2006年より、新年最初の開催は女子選手中心のレースで行われている(2012年まではオール女子戦だったが、2013年は男子選手も若干名出場した)。これは同時開催となる住之江競艇場でオール大阪のレース「全大阪王将戦」が行われ、大阪の競艇ファンがそちらに流れがちになる対策として始まったものであると言われている。初日には選手紹介も行われ、正月ムードと相まって華やかになることが好評となり、以来恒例となりつつある。
このため、兵庫支部の有力男子選手は年末最後の「日本財団会長杯争奪[† 4]歳忘れ今年もありがとう競走」に斡旋を受けることが多く、正月レースは三国競艇場・びわこ競艇場・津競艇場など近隣の競艇場のレースに参加することになる。かつては兵庫・大阪対抗戦として、阪神杯が住之江競艇場と交互に隔年で行なわれていた。
SG開催実績
編集開催年 | 競走名 | 優勝者 | 登番 | 出身 |
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1957 | 第3回全国地区対抗競走 | 金藤一二三 | 121 | 大阪 |
1967 | 第14回全日本選手権競走 | 優勝者なし | ||
1987 | 第14回笹川賞競走 | 野中和夫 | 2291 | 大阪 |
1991 | 第38回全日本選手権競走 | 原田順一 | 2273 | 福岡 |
1997 | 第7回グランドチャンピオン決定戦競走 | 市川哲也 | 3499 | 広島 |
2001 | 第36回総理大臣杯競走 | 烏野賢太 | 3304 | 徳島 |
2001 | 第6回オーシャンカップ競走 | 石田政吾 | 3635 | 石川 |
2002 | 第29回笹川賞競走 | 西島義則 | 3024 | 広島 |
2004 | 第31回笹川賞競走 | 上瀧和則 | 3307 | 佐賀 |
2009 | 第56回全日本選手権競走 | 松井繁 | 3415 | 大阪 |
2011 | 第38回笹川賞競走 | 池田浩二 | 3941 | 愛知 |
2012 | 第17回オーシャンカップ競走 | 井口佳典 | 4024 | 三重 |
2014 | 第49回ボートレースクラシック(総理大臣杯) | 松井繁 | 3415 | 大阪 |
2015 | 第50回ボートレースクラシック | 桐生順平 | 4444 | 埼玉 |
2016 | 第43回ボートレースオールスター(笹川賞) | 平本真之 | 4337 | 愛知 |
2018 | 第45回ボートレースオールスター(笹川賞) | 中島孝平 | 4013 | 福井 |
2022 | 第27回オーシャンカップ | 椎名豊 | 4787 | 群馬 |
2024 | 第34回グランドチャンピオン | 土屋智則 | 4362 | 群馬 |
事故
編集- 2004年(平成16年)3月28日、中島康孝選手が第5レースで1周目2マーク旋回時に内側の他艇に外側に向かって弾かれ、消波装置に激突し転覆して死亡[11]。
- 2020年(令和2年)2月9日午後2時半頃、開催中であった第63回G1近畿地区選手権4日目第9レースに出場していた地元選手の松本勝也が、1周目2マーク旋回時に転覆、その際に別の選手のボートと接触し負傷、心肺停止状態となり直ちに西宮市の兵庫医科大学病院に搬送されたが、午後4時12分死亡が確認された[12][13][11]。大きな外傷は無かったが肺に水が溜まっており、死因は溺死と発表された[14]。48歳没。レース場での死亡事故は31件目で、尼崎競艇場では2件目であった[13]。
場外発売場
編集- ボートピア神戸新開地 - 神戸市兵庫区新開地
- ボートピア姫路 - 姫路市魚町
- ミニボートピア洲本 - 兵庫県洲本市海岸通、洲本ポートターミナル内
- ミニボートピア滝野 - 兵庫県加東市北野、滝野社インターチェンジそば
- ボートピア梅田 - 大阪市北区堂山町
- ミニボートピア鳥取 - 鳥取県鳥取市南隈
- ミニボートピア朝来 - 兵庫県朝来市和田山町桑原
- ミニボートピア京丹後 - 京都府京丹後市久美浜町河梨
ボートピア梅田は、住之江競艇場の施行者である大阪府都市ボートレース企業団および箕面市が設置している。
アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 現通称が決定する2010年以前にも1980年代後半には尼崎ボートレースという通称がローカルCM内のロゴBGMとして起用された。
- ^ 一般戦の優勝賞金は2号賞金場84.2万円に対し、1号賞金場は64万円となるなど、記念競走以外の各賞金が低く抑えられる。
- ^ 従来、住之江競艇場と日程が被るのは年末年始のみであったが、現在は日中は尼崎、ナイターは住之江、という形で同日開催するケースもある。
- ^ 2006年まではサンテレビ杯争奪(そのためかつてはサンテレビで中継が行われていた)、2007年はビクトリーチャンネル杯争奪、2008年・2009年はアクアコンシェルジュ杯争奪、2010年 - 2012年は尼崎市長杯争奪。
出典
編集- ^ a b “施設案内”. 尼崎競艇場. 2012年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g 蛭子1992、201頁。
- ^ a b c d e f g 藤野2006、222頁。
- ^ a b c d “交通案内”. 尼崎競艇場. 2012年3月18日閲覧。
- ^ a b 尼崎競艇の誕生
- ^ 水面特性&進入コース別入着率 - 尼崎競艇場、2016年2月6日閲覧
- ^ “図説 尼崎の歴史”. 尼崎市立地域研究史料館. 2018年12月7日閲覧。
- ^ 尼崎競艇 モーター仕様の変更のお知らせ
- ^ 2012年度までは近松賞であった。
- ^ [1][2]競艇web
- ^ a b “尼崎9Rで転覆死亡事故…48歳松本勝也選手 24年間A1キープ、人望厚いベテランに悲劇”. スポニチ. スポニチ. (2020年2月10日) 2020年6月8日閲覧。
- ^ "【ボート】兵庫のトップレーサーがレース中の事故で死亡 松本勝也選手". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 9 February 2020. 2020年2月9日閲覧。
- ^ a b “トップレーサー松本勝也選手が尼崎G1で衝突事故死”. 日刊スポーツ. (2020年2月10日) 2020年2月10日閲覧。
- ^ “レース事故死のボート松本勝也選手の死因は溺死”. 日刊スポーツ. (2020年2月10日) 2020年2月11日閲覧。
参考文献
編集- 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0。
- 藤野悌一郎『よくわかる競艇のすべて 改訂新版』三恵書房、2006年。ISBN 4-7829-0353-7。
- “施設案内”. 尼崎競艇場. 2012年3月18日閲覧。
- “交通案内”. 尼崎競艇場. 2012年3月18日閲覧。