尹元衡
李氏朝鮮時代の高官。文定大妃の弟
尹元衡(いんげんこう、윤원형、ユン・ウォニョン、1509年 - 1565年11月18日)は、李氏朝鮮の文臣・外戚。字は「彦平」。本貫は坡平尹氏。
尹元衡 | |
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領議政 | |
本貫氏派 | 坡平尹氏 |
没死地 | 黄海道江陰県 |
埋葬地 | 京畿道坡州郡善山 |
配偶者 |
延安金氏(金安遂の娘) 鄭蘭貞 |
子女 | 尹継、尹孝源、尹忠源 |
尹元衡 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 윤원형 |
漢字: | 尹元衡 |
発音: | ユン・ウォニョン |
日本語読み: | いん げんこう[1] |
RR式: | Yun Won-hyung |
MR式: | Yun Won-hyung |
英語表記: | Yun Won-hyeong |
生涯
編集姉が中宗の3番目の王妃文定王后になったことで、権力を握る(小尹派)。本家出身の中宗の第二王后章敬王后の兄の尹任(大尹派)と対立し、甥の明宗が即位した嘉靖24年(1545年)に乙巳士禍を起こして尹任を処刑に追い込み専権を振るった。嘉靖44年(1565年)に文定王后が65歳(数え年)で崩御すると即時失脚し、司憲府・司諫院・弘文館の弾劾を受けて隠居地で自殺した。
尹元衡が登場する作品
編集- テレビドラマ
脚注
編集参考文献
編集- 『朝鮮王朝実録』
- 「中宗実録」
- 「仁宗実録」
- 「明宗実録」