小泉 芳江(こいずみ よしえ、〈出生名:石川 エシエ、いしかわ えしえ〉、1907年明治40年〉11月29日[1] - 2001年平成13年〉10月30日)は、日本の第87・88・89代内閣総理大臣小泉純一郎の母。また、小泉又次郎の娘、小泉純也の妻、小泉由兵衛の孫、小泉孝太郎小泉進次郎の祖母でもある。

来歴・人物

編集

神奈川県横須賀市出身。父は小泉又次郎、母は石川ハツ(小泉家の女中、又次郎の富山県滑川出身[2])。

又次郎は正妻・ナオとの間に子どもがいなかった。そんな中、小泉家の女中の石川ハツが又次郎の子を産み、産まれた女児は「石川 エシエ」と名付けられた。ハツは後に神輿などを作る宮大工の山口忠蔵と結婚したが、エシエは又次郎に認知されて、小泉家が引き取った。エシエは「芳江」と改名し、「小泉 芳江」となった[3]
又次郎によると「誰の腹でもいいから、自分の子供はもっておくものだね」という[4]

芳江は、1929年(昭和4年)に日本女子大学校家政学科を卒業した[5]
父・又次郎が幹事長をつとめる立憲民政党の事務職員だった鮫島純也鹿児島県出身)と知り合ったが、又次郎から結婚を反対されたため駆け落ちし、東京・青山の同潤会アパート同棲をはじめた[6]
純也が代議士になることを条件に許され、又次郎のもとへ戻った芳江と純也は三女二男をもうけた[6]

2001年(平成13年)10月30日、呼吸不全のため神奈川県横須賀市内で死去。満93歳没。

エピソード

編集

芳江について、又次郎の養女だった近藤壽子によると「(芳江は)気に入らないとすぐに絶縁するんです。絶縁が大好きなの(笑)。でも人がいいから、たいてい自分の方から折れてくる。やはりお嬢さんですね。」という[7]

家族・親族

編集

小泉家

編集
神奈川県横浜市金沢区横須賀市
1865年6月慶応元年5月)生 - 1951年昭和26年)9月
  • 母・石川ハツ(又次郎の妾)
  • 夫・純也(政治家)
1904年明治37年)1月生 - 1969年(昭和44年)8月
  • 長女・道子
1932年(昭和7年)生 - 2016年(平成28年)没
1938年(昭和13年)3月生 -
1942年(昭和17年)1月生 -
  • 次男・正也(私設秘書)
1946年(昭和21年)3月生 -
1978年(昭和53年)7月生 -
  • 孫・進次郎(純一郎と佳代子の次男、政治家)
1981年(昭和56年)4月生 -

参考文献

編集

注釈

編集
  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)こ9頁
  2. ^ 佐野眞一 著 『小泉政権 ― 非情の歳月』148頁
  3. ^ 純一郎、孝太郎、進次郎を生んだ小泉家の歴史”. KADOKAWAグループ. 2024年10月21日閲覧。
  4. ^ 佐野眞一 著 『小泉政権 ― 非情の歳月』148頁
  5. ^ 佐野眞一 著 『小泉政権 ― 非情の歳月』159頁
  6. ^ a b 佐野眞一 著 『小泉政権 ― 非情の歳月』156頁
  7. ^ 佐野眞一 著 『小泉政権 ― 非情の歳月』155頁