小森慶助

日本の教育者・官僚

小森 慶助(こもり けいすけ、1868年3月19日慶応4年2月26日[1])- 1942年昭和17年)5月21日[2])は、日本教育者官僚

小森慶助

経歴

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鹿児島県出身。東京高等師範学校卒業後、兵庫県尋常中学校(姫路中学校)長、神奈川県尋常中学校(横浜第一中学校)長を経て、1899年に神奈川県視学官に任命された[3]。 その後、兵庫県視学官、文部省視学官という教育行政の要職を歴任するが、1914年5月28日から1918年5月27日(一期)まで静岡市長を務めた[4]

市長退任後は、甲南高等学校の初代校長(1923年-1924年)、1935年には神港中学校長を務めた[4]

脚注

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  1. ^ 「小森慶助静岡県静岡市長ニ就任ノ件」
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、224頁。
  3. ^ 『朝日新聞』(東京)「小森慶助氏」(1942年5月22日)
  4. ^ a b 同上

参考文献

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  • 内閣「小森慶助静岡県静岡市長ニ就任ノ件」大正3年。国立公文書館 請求番号:任B00711100


公職
先代
(新設)
神奈川県中学校
1899年
神奈川県尋常中学校長
1897年 - 1899年
次代
木村繁四郎
先代
兵庫県尋常中学校長
萩原朝之助
兵庫県姫路尋常中学校
1896年 - 1897年
兵庫県尋常中学校長
1891年 - 1896年
次代
岡元輔
その他の役職
先代
末久喜十郎
神港中学校
1932年 - 1938年
次代
安井清雄
先代
(新設)
甲南中学校
1921年 - 1924年
私立甲南中学校長
1919年 - 1921年
次代
丸山環
先代
(新設)
甲南高等女学校
1920年 - 1922年
次代
今西嘉蔵