富田健治

日本の内務官僚、政治家

富田 健治(とみた けんじ、1897年明治30年)11月1日 - 1977年昭和52年)3月23日)は、大正・昭和期の日本の内務官僚政治家兵庫県出身。石川県警察部長、官選長野県知事第二次および第三次近衛内閣内閣書記官長貴族院議員。戦後、自由民主党衆議院議員

富田健治

来歴・人物

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兵庫県神戸市生まれ。1921年大正10年)京都帝国大学法学部卒業後、内務省に入り静岡県岐阜県神奈川県警視。その間、内務事務官、福井県書記官・学務部長、拓務書記官、石川県書記官・警察部長、大阪府書記官・警察部長、内務省書記官・警保局保安課長、警保局長、長野県知事を歴任。父は富田熊作。ロンドン山中商会に勤務した昭和初期の美術商でバウアーコレクションと関わった。兵庫県猪名川町出身。猪名川町に「静思館」という熊作の迎賓館が残る。

1940年(昭和15年)7月から1941年(昭和16年)10月まで第二次および第三次近衛内閣で内閣書記官長を務め、新体制運動をおしすすめた。

1941年(昭和16年)10月16日[1]から1946年(昭和21年)5月25日[2]まで貴族院議員。1944年(昭和19年)以降、平塚市に居住。

1946年(昭和21年)8月に公職追放指定、1952年(昭和27年)3月公職追放解除。

1952年(昭和27年)、衆議院議員当選(兵庫2区)、自由民主党。以後、1955年に1度落選。1963年の落選による引退まで当選4回)。

1967年(昭和42年)、勲二等瑞宝章受章。

1977年(昭和52年)3月23日、死去。

栄典

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勲章
外国勲章佩用允許

著作

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  • 『敗戦日本の内側 近衛公の思い出』古今書院、1962年。下記は抜粋版
    • 近衛文麿と日米開戦――内閣書記官長が残した『敗戦日本の内側』』祥伝社新書、2019年 - 川田稔解説

脚注

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  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、51頁。
  2. ^ 『官報』第5810号、昭和21年5月30日。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  4. ^ 長谷川清外三十一名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504700 
議会
先代
永山忠則
  衆議院内閣委員長
1963年
次代
綱島正興
公職
先代
石渡荘太郎
  内閣書記官長
第44-45代:1940年 - 1941年
次代
星野直樹
官職
先代
大村清一
  長野県知事
官選第25代:1938年 - 1940年
次代
鈴木登
先代
安倍源基
  内務省警保局長
1937年 - 1938年
次代
本間精