富塚貞一郎
大日本帝国陸軍軍人
富塚 貞一郎(とみづか ていいちろう、1872年3月24日(明治5年2月16日) - 1935年(昭和10年)5月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
富塚 貞一郎 | |
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生誕 |
1872年3月24日 日本 宮城県 |
死没 | 1935年5月7日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1894年 - 1924年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集宮城県出身[1][2]。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]。
仙台陸軍地方幼年学校長を経て、1913年(大正2年)8月に金沢連隊区司令官に任官[1][2]。
その後、1916年(大正5年)4月に陸軍歩兵大佐、同年8月に歩兵第79連隊長、1920年(大正9年)8月に陸軍少将・歩兵第14旅団長を経て、1924年(大正13年)2月4日に待命、同月26日に予備役に編入した[1][2]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。