宮上 茂隆(みやがみ しげたか、1940年7月26日[1]- 1998年11月16日[2])は、日本の建築史家。奈良時代の寺院から江戸時代の城郭まで、日本建築の研究や復元設計を数多く手がけた[2]

安土城天主(宮上茂隆復元案)を模した伊勢・安土桃山文化村にある天守風建物

略歴

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東京小石川の華道家元の子として生まれる[2]。1964年東京大学工学部建築学科卒業[2]、1966年同大学大学院修士課程修了[2]。1968年、東京大学工学部建築学科助手(1980年まで)[2]1979年、東京大学より工学博士を授与される[2]。論文の題は「薬師寺伽藍之研究」[3]

1980年竹林舎建築研究所を設立[2]。1983年、20年をかけて大阪城本丸設計図を復元する[2]。1989年から1993年にかけて、掛川城天守閣の復元設計に携わった[2]

1998年、肺炎で死去[2]

著書

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単著

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  • 『模型薬師寺東塔』草思社 1986
  • 『復元模型安土城』草思社 1995
  • 『薬師寺伽藍の研究』草思社 2009

共著・共編

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翻訳

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  • アン&スコット・マグレガー『超高層ビル』草思社 つくりながら学ぶやさしい工学 1981

脚注

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  1. ^ 『現代日本人名録』
  2. ^ a b c d e f g h i j k 宮上茂隆 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2022年2月15日閲覧。
  3. ^ 博士論文書誌データベース

関連項目

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