定遠君
定遠君(ていえんくん、チョンウォングン、정원군、1580年8月2日 - 1620年2月2日)は、李氏朝鮮の王族。第14代王宣祖の王子で母は側室・仁嬪金氏。第15代王 光海君の異母弟。第16代王仁祖の父。諱は琈(ふ[1]、プ、부)。諡は恭良敬徳仁憲靖穆章孝大王。明からの諡号は恭良であり、明から諡号を受けた最後の人物である。廟号は元宗(げんしゅう、ウォンジョン、원종)。
定遠君 | |
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宗親世 | |
大院君 | |
定遠君(元宗)の御眞 釜山で保管中に発生した火災で半分が焼失。 | |
続柄 | 第14代王 宣祖王子 |
諱号 | 琈 |
諡号 | 恭良敬徳仁憲靖穆章孝大王 |
出生年 | 万暦8年6月22日(1580年8月2日) |
没死年 | 万暦47年12月29日(1620年2月2日) |
実父 | 宣祖 |
実母 | 仁嬪金氏 |
配偶者 | 連珠府夫人具氏 |
子女 | 仁祖 |
定遠君 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 정원군 |
漢字: | 定遠君 |
発音: | チョンウォングン |
日本語読み: | ていえんくん |
生涯
編集人物
編集- 彼の墓碑によると、幼少の頃より容姿が優れ、態度が慎重で、孝行と友愛の心を持っていた為、父 宣祖から寵愛を受けていたという。しかし、実録によると性分が暴悪で、放蕩な振る舞いがあった為人々から後ろ指を差されていたと書かれてある。ならず者であったが、息子が王位に就いた為墓碑による評価になったという。
- 酒好きであった。
- 母 仁嬪金氏と異母兄 光海君が政敵の関係にあった。その為、光海君即位後は政治的活動等を慎み、静かに暮らした。
- 死因に関しては、三男の綾昌大君が死刑となった為、心を病みそれが病に拍車をかけたという。なおこの事がきっかけで、仁祖が反正を起こす決意をさせた。
家族関係
編集脚注
編集系図
編集元宗の子孫の詳細
璿源系譜記略元宗大王子孫