安東 巖(あんどう いわお、1939年昭和14年[1] - )は、日本社会運動家宗教家生長の家本部講師[2]

あんどう いわお

安東 巌
生誕 1939年(84 - 85歳)
日本の旗 日本佐賀県鳥栖市
出身校 長崎大学
職業 社会運動家
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経歴

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佐賀県鳥栖市出身。高校2年の時に肺動脈弁狭空症を発症。以後7年間、寝たきりの生活を送るが、生長の家の教えである「人間神の子。本来、病なし」に触れて信仰生活に入った結果、回復。25歳の時に復学し卒業。

1966年長崎大学に入学し椛島有三と共に長崎大学学生協議会を結成。同協議会は後に大分大学などと共に全国学生自治体連絡協議会と発展する[3]。大学を卒業後は生長の家で専従職員を経て政治局政治部長・本部講師などを歴任。

著書

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  • 『わが思い ひたぶるに』(生長の家青年会、1980年)

脚注

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  1. ^ 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、p.81。
  2. ^ 寺田喜朗「日本会議創価学会安倍政権を支えるコミュニティ―」『現代宗教2017』国際宗教研究所2017年2月、p.108
  3. ^ 菅野完『日本会議の研究』扶桑社(扶桑社新書)、2016年