学生連合会
学生連合会(がくせいれんごうかい)は、1922年(大正11年)に結成された大学・高校・専門学校の社会思想研究団体の全国組織である[1]。学連(がくれん、FS)と略される。
11月7日に東京帝国大学学生第二控所で開かれた発会式には新人会(帝大)、文化会(早大)、建設者同盟(早大)、七日会(明大)、社会思想研究会(早高)、社会批判者(日大)、七月会(女子医専)、社会思想研究会(一高)、社会問題研究会(三高)、FR会(五高)、鶴鳴会(七高造士館)、文化会(新潟高)などが参加した[1]。
学生連合会は1924年(大正13年)9月14日に正式名称を学生社会科学連合会[2]、1925年(大正14年)7月に全日本学生社会科学連合会と改めた[3]。
京都学連事件後、日本共産党は、1928年『無産青年』に、「革命的学生の任務について」と題する論文を掲載し、次のような見解を示した。
「学連は本来研究団体であり、学生の政治闘争機関ではない。学連が学生の闘争を指導してきたのは誤りで、共産党・日本共産青年同盟こそが学生の闘争の指導機関である。今後は、学校ごとに非合法グループを組織して、学連グループは赤色支援会モップル)・反帝同盟・無産者新聞・ナップなど一般闘争団体として学内班に吸収し、研究団体としては読書会だけを残して、これを強化していくべきである」
日本共産党は、大衆組織としての学連を解体し、党下部組織である青年共産同盟に一元的に組織していこうとした。
戦後、後継組織として「全国学生社会科学系研究会連絡会議」(全国社研連)が結成されている。