如己堂
長崎県長崎市にある、永井隆が白血病の療養をしていた建物
如己堂(にょこどう)は、長崎県長崎市にある、永井隆が白血病の療養をしながら執筆活動に励んだ建物である。長崎の被爆から約3年後の1948年(昭和23年)3月、長崎市浦上の人達やカトリック教会の協力により建てられていた。この二畳一間の部屋で、永井隆の著名な作品の数々が生まれた。
現在は、隣接地に長崎市永井隆記念館が建てられている。
名前の由来
編集浦上の人々が原爆で財産を失ったにもかかわらず、永井隆のために建てた建物であり、それに感銘を受けた永井が「己の如く隣人を愛せよ」という意味を込めて「如己堂」と名付けた[1]。
歴史
編集如己堂が建てられた場所は、帳方屋敷の跡地でもある。帳方とは、潜伏キリシタンの信仰組織における組頭である(惣頭ともいう)。浦上村の初代帳方は孫右衛門で、その後の帳方も孫右衛門の子孫から選ばれており、この地にあった帳方屋敷に住んでいた。1856年に起きた浦上三番崩れにより、初代孫右衛門から続いた帳方は7代目の吉蔵で途絶えることになったが、この吉蔵は永井隆の夫人・みどりの曾祖父にあたる。
その他
編集所在地
編集〒852-8112 長崎県長崎市上野町22-6
参考文献
編集- 『長崎遊学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(長崎文献社、2005年) ISBN 4888510911
- 『旅する長崎学4』(長崎文献社、2006年) ISBN 9784888511131
脚注
編集注釈
編集- ^ ラゲ訳新約聖書(1910年版)「汝の近き者を己の如く愛すべし」とある。1898年、施約瑟の訳の淺文理新約聖經天主版の馬可福音には「愛人如己」とある。ブリッジマン・カルバートソン版の漢訳聖書に訓点を施した訓点聖書では、「当愛鄰如己」とあり「当に鄰を愛する、己の如くすべし」と訓んでいる。
出典
編集- ^ 長崎市. “如己堂”. 長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “第4章 如己堂 | 長崎市永井隆記念館”. nagaitakashi.nagasakipeace.jp. 長崎市永井隆記念館. 2022年2月15日閲覧。
外部リンク
編集- 己の如く人を愛したひと ~永井 隆~ - ウェイバックマシン(2019年1月25日アーカイブ分) - 永井隆ストーリー< 長崎市|平和・原爆|長崎原爆資料館|関連施設|永井隆記念館
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