天女橋
沖縄県那覇市にある石造アーチ橋
天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市の首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。
天女橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 沖縄県那覇市 |
交差物件 | 円鑑池 |
建設 | 1502年 |
座標 | 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度座標: 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度 |
構造諸元 | |
形式 | アーチ |
材料 | 琉球石灰岩 |
全長 | 9.8m |
関連項目 | |
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概要
編集円鑑池の中島にある弁財天堂へ渡る橋で、1502年(尚真王26年)に造られた、日本に現存する最古の石造アーチ橋である。 沖縄の古いアーチ橋は、アーチを構成する石が4つまでと少なく、要石(キーストーン)と言える部分が存在しない。これは城(グスク)の門の石積みアーチ技術を使ったものとみられる。天女橋の東側には、国の重要文化財に指定された放生橋(円覚寺)がある。
歴史
編集1451年(尚金福王2年)に造られた長虹堤を最初に、多くの石造アーチ橋が造られたが、第二次世界大戦によって、その多くが失われた。
朝鮮から贈られた「方冊蔵経」(高麗版大蔵経)を納めるため、1502年(尚真王26年)、円鑑池の中島に経堂が造られ、同時に石橋(かつては観蓮橋と呼ばれた)が造られた。1609年に薩摩藩によって経堂は破壊され、1621年に弁財天を祀る堂として新たに建てられると、橋は天女橋と呼ばれるようになる。第二次世界大戦で弁財天堂と橋の高欄を失うが、弁財天堂は1968年、高欄は翌年に復元されている。 1972年5月、国の重要文化財(建造物)に指定された。
参考文献
編集- 松村博『日本百名橋』鹿島出版会
- 現地の紹介看板