大野定
大野 定(おおの さだめ、生年月日不明 - 1884年(明治17年)8月)は、三河国碧海郡刈谷町(現在の愛知県刈谷市)出身の刈谷藩家老・政治家。愛知県会議員。大野 信吾(おおの しんご)とも。出生名は大野憲太郎。
おおの さだめ 大野 定 | |
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生誕 |
生年月日不明 三河国碧海郡刈谷町(現在の愛知県刈谷市) |
死没 | 1884年8月 |
国籍 | 日本 |
別名 | 大野信吾 |
職業 | 藩士・政治家 |
経歴
編集刈谷藩藩士の大野家に生まれた。1845年(弘化2年)4月5日には御小姓御雇大小姓勤となり、6月15日には名を信吾とした。1853年(嘉永6年)には父の大野市右衛門が役儀御免となって隠居。1856年(安政3年)9月13日には奥州領の郡奉行となった。1863年(文久3年)11月には天誅組が挙兵する長州浪士事件が起こり、刈谷藩家老を務めていた大野は古河藩に送られて入牢した。1868年(慶応4年)3月9日には再び刈谷藩家老となっている。
明治維新後には大参事や大区長として廃藩後の整理にあたった。1871年(明治4年)の置県後には生産義社を設立して頭取となった。その後は刈谷村の戸長となり、また初代愛知県会議員となった。1884年(明治17年)8月に死去した。1926年(大正15年)8月、亀城公園に記念碑が設立された。
参考文献
編集- 大野一族三代記 刈谷市