大芝水門(おおしばすいもん)は、広島県広島市太田川水系支流の旧太田川(本川)を仕切る水門道路橋「大芝橋」として併用されている。

大芝水門
(大芝橋)
平水時 下流から
増水時 下流から
情報
用途 治水施設(洪水調節)・道路橋
事業主体 国土交通省中国地方整備局
管理運営 水門:太田川河川事務所、道路:広島市
構造形式 水門:スルースゲート+固定堰
橋梁:6径間鈑桁橋
状態 完成
着工 1961年
竣工 1965年
所在地 太田川水系旧太田川(本川)
左岸:東区牛田
右岸:西区大芝
座標 北緯34度25分28.0秒 東経132度27分49.8秒 / 北緯34.424444度 東経132.463833度 / 34.424444; 132.463833 (大芝水門
(大芝橋)
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座標: 北緯34度25分28.0秒 東経132度27分49.8秒 / 北緯34.424444度 東経132.463833度 / 34.424444; 132.463833 (大芝水門
(大芝橋)
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広島デルタ頂付近にある水門で、この付近で分かれる太田川本流(太田川放水路)を仕切る祇園水門と連動する水門である(太田川放水路#機能参照)。

概要

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1932年(昭和7年)太田川流域の改修事業が始まりその中で放水路整備計画が挙がり、その際に水門の設置が決まった[1][2][3]。実際には戦後に土木研究所での大型模型による実験で構造が決定、左岸(牛田)側が水門・右岸(大芝)側が固定堰(溢流堤)となった[3][4]。この配置になった理由は、水門を右岸側に置くと流頭部の流速を助長し河床および構造物の維持が困難になるため、また水門を左岸側に置くと漂流物に対して安全で、かつ現状の平水が左岸寄りで流れているため[3]。また水門が大きいのは、設計当時市内派川では河川舟運が盛んで門扉を開けた状態で船の通行ができるようにしたため[4]

1961年(昭和36年)から工事開始、1965年(昭和40年)に完成した[1]

右岸南詰めに祇園水門と大芝水門を制御する国交省大芝出張所がある。下流側に京橋川との分流点、その向こうに北大橋が架かる。橋としては東区と西区を結ぶ唯一の橋であり、左岸は祇園新道、右岸側は祇園大橋南詰交差点へと続く。

諸元

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  • 堰上高 : 3.60m [5]
  • 敷高 : TP -0.50m [5]
    • 固定部 : 幅92.80m [5]
    • 可動部 : 鋼製ローラーゲート 幅13.33m×3門 [5]
    • 路線名:市道東4区191号線[6]
    • 幅員:6.0m [4](7.5m [6]
映像外部リンク
国土交通省ライブカメラ
  祇園新橋上流

脚注

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  1. ^ a b 太田川放水路のあゆみ~水と緑の平和都市・広島の礎~” (PDF). 国土交通省太田川河川事務所 (2018年2月). 2022年8月19日閲覧。
  2. ^ 平面圖』(PDF)(プレスリリース)内務省大阪土木出張所、1936年6月http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/48226/zu.pdf2022年8月19日閲覧 
  3. ^ a b c 大芝・祇園水門” (PDF). 中国建設弘済会. 2022年8月19日閲覧。
  4. ^ a b c 秋竹敏実、藤吉三郎「太田川分流工事の概要について」(PDF)『土木学会誌』第46巻第9号、土木学会、1961年、15-20頁、2022年8月19日閲覧 
  5. ^ a b c d 太田川水系河川整備計画(案)』(PDF)(プレスリリース)国土交通省、2011年、70頁https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/plan2/anpdf/anall.pdf2022年8月19日閲覧 
  6. ^ a b ひろしま地図ナビ”. 広島市. 2022年8月19日閲覧。

外部リンク

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